歴史

今日は9:45〜17:30まで図書館で本を読んでいました。

 

ゼミの発表があるのでその文献探しです。

 

テーマは「ドイツの歴史教育」にしようかなぁと考えています。

ドイツって現代史だけで1年かけるのだそうです。日本は現代史がとっても薄いのに!

そして教育と進路選択とか、国民国家とか考えると結構面白いテーマなのです...

 

といっても読んでいて面白かったのは

ジョン・ルカーチの「歴史学の将来」という本。(以下Amazonリンク)

https://www.amazon.co.jp/歴史学の将来-ジョン・ルカーチ/dp/4622077647

 

表紙はフェルメールのDie Malkunst(絵画芸術、絵の描き方)の女性。

f:id:hannyhi8n1:20161125181121j:image

 

この絵の女性は歴史と英雄詩を司る女神、クレイオなのだそうです。名前は祝福する、という言葉に由来しているそうです。(うぃきぺでぃあより)

この女神を切り取って表紙にするところがこう、ぐっときます。

 

内容は小説と歴史の違いとか、歴史(学)はこういうものである、といったものでところどころに警句的、文学的引用があって面白かったです。

 

私が好きな引用はヨハン・ドロイゼンというドイツの歴史家の引用です。彼の経歴についていいとか悪いとかの判断は今の私にはできないけれど、彼の言葉はものすごく腑に落ちました。

 

「歴史とは光と真実ではなく、それを追い求め、それについて説き、それに身を捧げることである。歴史は光ではなく、光の証をするためにつかわされた洗礼者ヨハネの似ている」

 

なるほど〜って感じですよね。

いえ、この言葉の言わんとすることを全部理解するのは難しいですけど。

 

歴史には「つくられた」歴史と、「誰にも見つかっていない」歴史があるのだと思います。

 

この、「誰にも見つかっていない」歴史を辿るのが文書であったり、そういう証拠一連なのだと思われるのですが、これを再構成することが歴史家の役割であり、私たちが高校で知るような歴史はいわば「つくられた」歴史なのです。

 

その歴史は確かにそこにあったものなのかもしれないけれど、解釈の仕方や集めた史料、時代の流れによって「教わる歴史」はだいぶ変わってきます。

 

たとえばドイツは今でこそ現代史に1年をかけ、「ナチスの悲劇を繰り返さない」教育、悲劇を持つ国の国民として生まれたという歴史教育をしていますが、これは1960年代半ばから1970年代初頭に確立された特徴だと言われています。

 

これは1947年のポツダム協定に基づく方針だそうです。

「ドイツの教育はナチズムや軍国主義の教義が完全に払拭され、民主主義の理念が十分に発展するように規制されなければならない」。

 

と考えると「歴史ってなんだろう〜」って思いませんか?(私は思いました)。

 

日本の歴史について知るならば、きっともっと外側から日本を見る必要があるのでは、、、と私は考えます。

話はそれますが高校の科目で「近現代史のみ」ってちょっとこわいなぁって思います。つながりがわからないのって理解に苦しみそう。

(産経ニュース:「高校に「近現代史」新設検討 文科省、日本史必修化で」2014/8/17 アクセス日:2016/11/25 18:57 http://www.sankei.com/smp/life/news/140817/lif1408170002-s.html   )

 

でも人は生きていくのに仕事が必要ですから、

のんびりと構えて職業スキルに必要なことだけを考えて行動するのも悪くないかもしれません。

 

...そう考えるとマックス・ウェーバーは偉大だ...

(「職業としての学問」「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を書いたから。読んだことないけど)。

 

 

 

 

雪化粧

都内で54年ぶり(!)に雪が降りました。

 

そんな日のキャンパスの写真

f:id:hannyhi8n1:20161124182229j:image

寒々とした光景ですが...

ちょっと歩くと..

 

f:id:hannyhi8n1:20161124182154j:image

じゃん!

f:id:hannyhi8n1:20161124182210j:image

 

f:id:hannyhi8n1:20161124182852j:image

 

 

紅葉と白い雪がいい感じです。

 

ちなみに2日前のほとんど同じ場所の写真

f:id:hannyhi8n1:20161124182649j:image

 

f:id:hannyhi8n1:20161124182706j:image

 

窓から眺めた景色 

f:id:hannyhi8n1:20161124182831j:image

 

すっかり秋めいた景色だなぁと思っていたら、もうすぐ12月。冬がやってきたんですね〜

 

さて。

こんな日はBill Evans でも聴きながらオレンジがかったライトのもとでゆったり読書です。

マグカップにはラテ(上京の時にお母さまから持たされたパウダーのやつ)。

 

曲はwhen you wish upon a star.

トランペットのあたたかさが好きで、こういう寒い日にぴったりの曲です。

 

原曲は 1940年にディズニー映画「ピノキオ」 の主題歌。そう、あの「星に願いを」です。

このアレンジのジャズの方が私は好きです...。

ゲレンデの暖炉のまわりにたたずんで聴いていたい曲。

 

静かで寒い日ですが、

みなさんも風邪を引かないように暖まって過ごしてくださいね。

 

 

 

 

 

安岡章太郎展に行ってきた

安岡章太郎は高知生まれの小説家で「第三の新人」の一人です。「海浜の光景」などが代表作で、1953年に「悪い仲間」で芥川賞を受賞します。娘の安岡治子さんはドストエフスキーの「地下室の手記」の翻訳を手がけたロシア文学者です。

 

きっかけはゼミの先生がなぜか話しかけてくれたこと。

 

先生「はちみつさんさー、小説読む人だよね?」

私     「はい、読みます」

先生 「ぼくさぁ この間安岡章太郎展に行ったんだよねぇ」

私  「あっ その人読んだことないです」

先生  「そうなの。まあとにかくぼくの学生時代のロシア語の先生が安岡章太郎さんの娘さんで、その写真があったりして感慨深かったよね」

私   (安岡章太郎... サーカス... 昭和...3人...)

 

という、全く噛み合わない会話がありました(てへぺろ)

 

とにかく・こうした経緯で神奈川近代文学館(愛称かなぶん)の安岡章太郎展に休日を有効活用して行ってみました。一人でどこかに出かけるのは春休みの京都一人旅以来だったので寒い日にも関わらずうきうきして出かけました。

 

f:id:hannyhi8n1:20161123140314j:image

 

元町・中華街駅を降りて広い川に興奮して撮った写真。

攻殻機動隊パトレイバーの映画に出てきた背景を見て以来、私は川というものを愛してやみません。

パトレイバーについては1作見ただけですが。

 

f:id:hannyhi8n1:20161123140600j:image

かなぶんは港の見える丘公園のはじっこにあるようでした。

港の見える丘公園に行くのははじめてだったので、井の頭公園よりもきれいな公園があるものだなと思っていました。

 

f:id:hannyhi8n1:20161123140817j:image

公園の中に井戸がありました。30mの深さの井戸で、この底に何が眠っているのか気になるところです。

 

さらにバラの咲き乱れる西洋庭園を抜けると...

f:id:hannyhi8n1:20161123141020j:image

 

 じゃん!

f:id:hannyhi8n1:20161123140937j:image

 

ちなみに読売新聞にすごくよくこの展覧会のことがまとまっている記事があります。

安岡章太郎さん 生涯たどる展覧会 アクセス日:2016/11/23 14:38  〉

http://www.yomiuri.co.jp/life/book/news/20161115-OYT8T50010.html   

 

展覧会では、写真や手紙の展示、小説の引用などとともに生涯について解説されています。

 

【感想】

ふつーに楽しかった。

いやもちろん、文学館に行って「超楽しかった!!」とか言えるような人間では私はないのですけれども、

でも全然読んだことのない小説家さんが、好きな小説家さんと繋がりがあったりして、ちょっとした発見でした。(たとえば私は角田光代さんと村上春樹が大好きなのですが、角田さんは開高健さんの「輝ける闇」に衝撃を受けたと行っていて、開高健さんと安岡章太郎の二人の交流が見える写真がありました。村上春樹は今回の展覧会の冊子に寄稿しています。)

 

そして感動する言葉にも出会えました。

1984年8月13日の毎日新聞の夕刊のインタビューで語られていることなのですが、これはちょっと多くの人にも読んでもらいたいなぁと思いました。

 

印象としては、すごく丁寧な人だな、ということ。自分のルーツを調べたり(家系図をつくっていた)、対談の様子についてもそうだし、(私の好きなドナルド・キーンとも対談していました)、犬やゴリラが好きだったり、体験したものについてはその都度書いていたり、すごく丁寧に拾う方だと思いました。

 

【その後】

ハワイアン・カフェでパンケーキもオムレツも頼まずコーヒーだけ飲んでささっとノートに感想を書き付けて帰りました。

途中、乗り換えの関係で武蔵小杉駅に降りたのですが、ものすごく感激しました。

 

なぜって駅と図書館が直結しているのです!!

 

統計調査帳もあって本のレパートリーも広く市民に愛されているパブリック・スペース川崎市立中原図書館。

座席が残っていなかったので気になった本のタイトルをiphoneにメモします。

 

下に降りれば東急ハンズがあるし

もう武蔵小杉すてきすぎ!

 

何年か前に住みやすい街ランキングにランクインしていて、その時はまだ武蔵小杉の価値に気づいていませんでした...

いいなぁ武蔵小杉。

 

安岡章太郎さんの作品についてはまた今度!

 

 

 

 

 

近代化の限界?

 

記事を書いていたら消えてしまったので、もう一度書いてみます。

 

今日の国際経営論、多文化共生論、2年ゼミを通して考えたこと。

 

西洋化、近代化、

というのは、私の学科ではよく目にするキーワードですが、

このアイデアを説明すると

キリスト教的世界の見方(perspective)、より進化した人間(知性を備えたと思われる)の見方の広まり方

のようなものです。

 

たとえば私たちはお面をかぶって踊り狂うこともなくなったし、結婚という制度ができましたし、戸籍を与えられて「私は日本人です」ということができます。

でも、例えば結婚する時に恋愛結婚であったり、西洋的古典や哲学が絶対視されたり、自分のアイデンティティーーそれがあるかどうかは別としてーー形成に日本人的な要素を取り入れたりするのは、それは何かとの1対1の対比があります。

そういう二項対立の片方として取り上げられるのが、キリスト教的ものの考え方や西洋的(ゲルマン的な)考え方とその他です。

 

ではグローバル化と西洋化が一体であるかというと、本来は一体であるわけではないのに、それがあたかも同じことのように思われることに西洋化あるいは近代化の負の側面があります。

 

それが征服であり、帝国主義であり、だからこそこれを超えた多文化主義が必要で現在普及しつつあるとは思いません。

 

・・・・・・みたいなことを考えると

複雑性を愛しましょう、とか(これは私の尊敬する大学の先生がインタビューで言っていたこと)、あるいは文化人類学的な同化・共感をしながら客観的な、鳥瞰的なものの見方をするしかないこと、あるいは歴史学的に共感をしながら一つのテキストやストーリーを論理的創り出していくことが大事なのかなと思えてきます。

 

そして、私が考えることが「なぜそう考えるのか」を伝え、組み立てていくことに大学教育の一つの意味があると思います。

 

いろいろ書いてきましたが、私の根底にあるのは「あー みんなうらやましいな」ということです。

プライドの高さに裏打ちされたこの言葉は、同時に自分を客観視できていないことでもあるし、だからこそ私はキーボードをたたき続け、大学で受けている教育のアウトプットをし続けるのかもしれません。

 

 

風邪をひく

金曜日からどうも調子がよろしくないな、と思っていたら風邪をひいていたようです。

 

エアコンをがんがんきかせて暖めていたらものすごく乾燥してしまって、喉がいがいがしていました。加湿器がほしいなぁと思います。

身体の不調と心の不調はリンクするもので、何か人前でしゃべる機会があればわあわあとしゃべり、そのあとにものすごく落ち込むというような4日間を過ごしていました。

今日は金柑のど飴とマスク、カシミアティッシュとベンザブロックSを常備しています。

 

風邪をひいて、気が付いたのは

体が休みをくださいサインを出しているということ、

しかるべき時にしかるべきタイミングで体や心が調子を悪くしてくれるということです。

きっとホメオスタシスとかそういうことなんでしょうけれども。。。

何が言いたいかというと、病は悪いことだけではない、それはマークなんだということです。

 

今は大学のPCでブログを書いています。

(今までずっと携帯のアプリ書いていました)

 

するとビックリ

今までなかった機能が編集画面に出てきたり(Amazonの商品紹介の貼り付け機能とか)、キーボードの打ち込み具合の速さもさることながら、

ブログを書くこと、何かを書くことの楽しさをすごくすごく感じています。女子大生はちみつです。

 

調子がよろしくないときの私の症状としては

 ・嫌だと思ったことをいっぱ思い出す

 ・メイクをしない

 ・服のチョイスがアンバランスである

 ・人と目を合わせない

 ・人に会いたくなくなる

 ・部屋が散らかる(ベッドの上は読みかけの本だらけ)

 ・人に連絡をとりたがる(調子が悪い時の初期の兆候)

 ・SNSで少し過激な発言をする

 ・とりとめもないことを考え、それが大発見のように感じられる

 

などなどがあります。

 

そして最大のポイントは調子が良くないことに気が付かない、ことが多いです。

たいてい人から「今日は顔色が悪いね」と指摘されたりします。

 

たぶん私は自分の体の調子に鈍感なタイプなのでしょう。

 

そういえば、何年か前の「相棒」で「右京、風邪をひく」というタイトルの話がありましたが、なかなか面白い話だったので見直したいなぁとか思いました。

(脚本は、確か「リーガル・ハイ」の古沢良太さんだったかと思います)

 

国際経営論、多文化共生論、そうしてゼミに出て今日の授業は終わりです。

 

来週は3ゼミと2ゼミの発表なので、体調をしっかり整えて課題に備えたいと思います。

 

 

 

洋書が読めるようになりたい!

英語の文献に悪戦苦闘しつつ、暇を最大限活用してホテルニューハンプシャーを(日本語訳で)読み終えました。はちみつです。

 

洋書が読めるようになりたいです。

いや、私の通う大学のカリキュラムだと1年次に多読の授業があるから読めるようになっているはずなのです。同級生はブリストル大学の協定校留学に見事合格していましたし、私の不勉強さがものすごくものすごく今の苦しみにつながっています。

 

あー 英語できるようになりたい!

洋書が読めるようになりたい!

CNNがわかるようになりたい!!

ハーバード大学のイケメン学生ともう一度話してみたい!(高校時代になぜかうちの高校に来たことがありました)

 

カリフォルニアで優雅に暮らしたい

イケイケのビジネスウーマンになっていたい!

学者でもいいけど!!

 

洋書が読めるようになりたい、ですが

日本語訳と原書を持っているもの

(Tuesday's with Morryと The catcher in the rye)

の二冊をなんとか読む

(辞書あり)

 

をまずは試してみようと思います。

岩井俊二さんも一冊読めばなんとかなるって言ってたし。

 

...その前に論文読まないと....

 

 

Die Verwandlung

今日は2つ投稿です。

カフカの「変身」を読んだので感想をば。

 

Dieは定冠詞、verwandlungは変容、変形、転身という意味があるようです。ドイツ語の辞書が手元にないので例文や使われ方はよくわかりませんが、verwandlung meaning で検索するとmetamophosisという言葉に会いました。1)魔力による変質、変形   2)[生物]変態

だそうです。

the metamorphosis of a lady into a fox.

(狐になった奥様)→デイヴィッド・ガーネット1922年 *カフカの変身 は1912年執筆、1915年出版

His demeanor underwent an instant metamorphosis.

(彼の態度がたちまち一変した)

the metamorphosis of tadpoles into frogs.

(おたまじゃくしからカエルへの変態)

 

【あらすじ】

外交販売員のグレゴール・ザムザ(実家暮らし、二人兄妹の兄)、ある朝起きると虫になっていた。

 

【感想】

「引きこもりや不登校の人が読むとめっちゃわかるっていうらしい」という評判のもと、大学生になってはじめて読みました。一応高校生の頃も手に取ったのですが、意味不明ですぐ読むのをやめてしまいました。人にはその本を読むタイミングがあるんだと思います。

 

登場人物は虫になってしまった主人公ザムザ、妹、父、母、上司、女中3人(1→2→3と変わるのですが、もしかしたらこの女中の変わる場面と物語の流れが対応しているのかも)、家を借りに来た紳士3人

です。

 

ザムザは意外といい人で、虫になる前は働かないお父さんの変わりに働き、バイオリン好きの妹のために音楽学校の資金を貯めたりしています。

私は「うつ病になったサラリーマンってこんな感じなのかな」と思って読んでいました。

自分にも何が起きているかわからないし、家族からは蔑んだ扱いを受けるし、(「あいつがいるから私たちこんなに辛いのよ」的な)、最後は自分はいなくなった方がいいんだー って教会の鐘の音を聴きながら弱って死んじゃいます。

 

でも当の家族はザムザがいなくなって、久しぶりに各々休暇をとって出かけると自分たちが変化していることに気づきます。両親は娘に対して、そろそろお婿さんを探さないとなぁとか考えたり。

 

私自身、verwandlungをよく体験するので大学生になった今はなるほどーと思いながら読んでいました。

 

たとえば家族の描写がすごく上手くて。

ザムザの世話は妹がするのですが、わざと部屋を汚くしておくことがあって。これを見かねて普段ザムザを怖がっていた母親が片付けをするのですが、後で妹がすごく怒るんです。

対照的に、妹がすっかり家具を片付けてしまおう、ザムザ兄さん狭そうだし  って言うとザムザは同調するのですが母は反対します。それは文化的じゃないし、人間的でなくなってしまうわ、みたいな調子で。それを聞いてザムザは「自分はだんだん人間じゃなくなっているのかも...」と不安になったりします。

 

なんだかもう、誰か「森へ...お帰り...」って言ってやればいいのにって思うのですが、ザムザは身動きがとれません。

 

こういう描写は思春期、家に居づらかった頃の感覚をすごく思い起こさせました。

 

最大の謎はザムザが死んだ後何が残ったか?

です。

おそらくザムザとの唯一のコンタクトをとれた人が3人目の女中さんなのですが、ザムザの死んだ後に何か見つけたようなのです。

 

「この一家にたいそうすばらしいことを聞かせてやりたいのだが、根掘り葉掘り聞かれるのでなければ、そうあっさりとは聞かせられないという様子である」p.94

 

でもそれが何か知らされることはなく、(家族が別に聞く必要もないという態度をとったので)、

ラストに続きます。

 

ラストは肩の荷がみんな下りたような、清々しさを感じます。

うーん 似たような清々しさとしては伊丹十三の「お葬式」とかにあるのかなぁ。

 

つまりverwandlungは自分の在り方(他者の在り方)や、他者の在り方(自分の在り方)を変える大切な過程なのでは? と思います。

家族はザムザが虫になって辛かったけど、でもそれは今まで家族がどれだけザムザに依存していたかということも同時に明らかになるのです。

 

個人的には、ザムザがまたさらに何かに変わっていく過程も見てみたかった気もしますが、それは野暮な願いなのでしょう たぶん。

 

https://www.amazon.co.jp/変身-新潮文庫-フランツ・カフカ/dp/4102071016

f:id:hannyhi8n1:20161118193130j:image

 

【参考】

風の谷のナウシカ

f:id:hannyhi8n1:20161118193233j:image

こころの読書教室、河合隼雄

f:id:hannyhi8n1:20161118193343j:image