打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?

岩井俊二監督原作のドラマがアニメ映画化すると聞いて、ちょっとうれしかった はちみつです。

 

前に「暇だからフジテレビのお仕事に行ってきた」時、フジテレビの社員さんがこの「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」に感動してテレビ局志望になったと言っていました。

たぶん、このドラマがフジテレビのif というシリーズの一作であることも一つだとは思うのですが、私のような90年代後半世代がふれていた「夏祭り、花火、大人びた女の子、もし〜だったら」というキーワードはこのドラマによって確立されたのでしょう。たぶん。

 

女の子の世界と男の子の世界って全然違うんだなぁとあらためて思いました。

(とりあえず男の子、女の子ってわけてます)

男の子には友だちがいて、スラムダンクとかJリーグとかそういう趣味で世界が広がっていくけれど、

女の子は自分のまわりの世界が変化することで否応なく自分も変化させられてしまう。

劇中にも描かれていましたが、特に母と娘の関係は「自分のまわり」だったことが自分にダイレクトに影響してしまうので、すごく大変だと思います。

 

それと、

私は花火大会に浴衣を着て男の子と花火を眺めたことがないのでなずなちゃんと典道くんがちょっぴり羨ましく感じられるのでした。

 

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Health care

健康よりもHealthの方が語感がいいですよね。

 

ということで今日は健康について考えてみたいと思います。

 

私のからだ。私の心。私の細胞。社会的な私。

 

人生の中で、たとえば

赤ちゃん→幼児→少女→女の子→女性→妻→母

という過程があると思うのですが

これは→の方向通りに変わるのではなくて、母でありながら女性でもある、みたいに複数の役割やキャラクターをもつことになりますよね。

でも次第に子どもやパートナーとも関わっていくことだから、その度にキャラクターだけでなくその関係性すらも変わっていくことになります。

 

健康の本質は変化に付き合っていくこと、ではないでしょうか。

どこか病気になって、治療をしましょうということになった時 それはどこかが「悪い」のかというと、そうとも言い切れないのでは...? と思います。

 

私たちが死ぬことや痛みや辛さを引き受けることは生まれたことの義務とか権利の一つであり、それがやわらぐと本人が感じるならばそうした辛さをやわらげることは大事なことなのではないかなと思うんです。

 

どこかの「ゆがみ」はゆがみとして知られる必要があるし、それが社会的な、国家くらいの大きな枠組みのゆがみなのか関係性のゆがみなのかは知る必要があるのかなと。

 

マッサージや温泉の効能は私たちのゆがみをほぐしてくれることにあるのではないでしょうか。日常を離れて、自分の身体に向き合う時間(物理的なものとしてほぐす・あたためる)があることで、私たちは身体とこころの調子を戻すのではないかと思います。

 

私の最大のテーマはたぶんこれで、

共生、行ったり来たり、時代からみた現象、人間の営み、メンテナンス、調整、mediate、境界

とかそういうテーマになるのだと思います。

 

まとまらなくなっちゃったけど

つまり健康って深いですねって話です。

 

 

 

 

今日の大学

PMSで憂鬱だったはちみつです。

PMSっていつからこんなにはっきりと出てくるようになったのでしょうか。昔の人もあったのかな。

 

さて、今日も今日とて大学の話です。

 

たぶん私は大学が好きなんだと思います。

私の親戚の大人の大卒は母一人だったので、私は大学という場所がようわからず、映画で「大学とはこういうものだ」と思っていました。イメージ形成の大部分はトム・ハンクス主演の「幸せの教室」というコメディ映画です。

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この映画をみて、たとえばスピーチのスキルだって大学で身につけることができるんだ! とちょっと驚きました。

 

そういう、いわば身体を使った少人数のワークって私の通う大学だと演劇の授業、コミュニケーション(理論的)の授業、野外教育(夏は軽井沢でテニスをし、冬はスキーをする)などなどがあります。

その中で私がとっているのは人間関係論、という授業です。臨床心理士の先生が講師に来てくれているのですが、臨床心理の講義から実践的なことまで授業で扱っています。

今日はアサーションスキルというテーマで簡単なロールプレイングをしました。

 

アサーションスキル/アサーティブとは

「自分が受け止められるからこそ自分も表現する権利がある」ことで、相手の領域、態度、ペースを尊重しながら自分のことが言えるようになれる技術です。

 

授業では、プリントを使ってシュミレーションをしながら、どういう言い換えができるのか?を考えたりします。

落ち込んだ時プリントを読み返すとなるほどと思えるのでgood!

 

今日のロールプレイングはオープンクエスチョンとクローズドクエスチョンをつかって会話するというものでした。

 

オープンクエスチョンは「はい」「いいえ」で答える質問で、クローズドクエスチョンは自由に答えることができる質問です。

 

「大学生ですか?」「はい」(オープンクエスチョン)

「選考はなんですか?」「国際関係学科なんですが、政治の授業ばっかりとっています」

(クローズドクエスチョン)

 

ロールプレイングの感想はコメントシートに書くのでないしょです(ゝ。∂)

 

ペアになったのは同じゼミの1コ上の方でした。共通の知り合いがいたり、ゼミが同じだと話がはずんでうれしかったです。

 

うーん、うちの大学は個人個人の知り合いをつくる感じではなくて、グループで知り合いをつくっていくスタンスだったから、他の授業を通して興味のあるテーマを聞けるのはうれしかったなぁ。

 

今度の土曜日に4年生の卒論発表会があって、懇談会もあるのですごく楽しみです。

 

アサーションスキルが授業で身につくかどうかはもっともっと実践していかないとわからないけど、本では学べないことができる大学っていいなぁと思ったりしました。

モラトリアム

将来や友人関係やそんなことを考える時期ってあると思うのですが、

悩む前に行動しろ   というのもわかるのですが

悩まずにはいられない大学2年生はちみつです。

 

寮生3人で集まって話をしていました。

今の寮を出るかどうか、とか

人って全然違うよね、とか。

 

動けなくなった自分がこのままここにいて何かが変わるのかな、とか。

 

私はこの寮を出ます。

私がこの寮に来た時の目標が達成されたから。

 

いろんな人に会いたい、ということと

なんとなく一緒にいてリラックスできる人たちといられたから。

時に長い時間恋愛について話したりして、

ただ同じ空間にいただけで居心地がよかったり。

 

春が来て慣れない環境(コースが変わったこととか、寮生の半分が変わったこと、眠れなくなったりしたこと)になり、

夏になって毎日上野に行き、緑と水がきれいな季節になって、

秋には大学にちょっとずつ行き始め、本を読んだりぐてぐてしたり、

そうしてもう冬になりました。

 

東京の冬がこんなに明るくてあたたかいとは思わなかった。

 

もちろん寒い日もあるけれどこんなに穏やかだと思っていなかった。

 

先日渋谷に行きました。

大学見学という名目で高校生の時にグループ行動で有名大学に行ったりしたのですが、

その時お昼を食べたおにぎりやさんがまだあって「あれから3年かぁ」なんて思ったりしました。

 

1年前にはサークルの人たちと井の頭線に乗ったりして、夜の住宅街を電車のガラス越しに眺めていました。

もう大学2年もあとちょっとです。

 

来年はもうちょっとちゃんと勉強する時期になりそうです。

どうなるかわからないけど、今まで選んだ道や出会った人たちのおかげでここまで来ました。だからこれからも誰かと出会ったり、笑ったり泣いたり怒ったりしてどこかに行くのでしょう。

 

モラトリアムな1年でした。

 

何かに熱中もせずに、興味のあることがころころ変わって、日々変わる体調や気分に悩まされてどうして行こうかなぁと思っていました。

 

とりあえず引っ越します。

 

今日はこの辺で。大学で400円のオムライスを食べに行ってきます。

 

 

 

双極性障害

キプロス 論文 で検索をかけると私の書いたブログが出てくることに気づいて真っ青のはちみつです。

 

いろんな人に読まれるのなら、どうせならもっと自分のことを書こうと思いました。

 

双極性障害とは、私の診断名で統合失調症とともに二大精神疾患と言われています。脳の伝達物質の調節が利かなくなり、落ち着きなく喋る躁状態と、塞ぎ込んで何もできなくなってしまう鬱状態の2つを行き来します。

 

躁状態の時は人を怒らせやすいし、鬱状態の時は大学に行くのもままならなくなるので結構大変です。

 

特に人間関係において、状態が変わっている時に会うと人の第一印象がよかったり悪かったりするので、安定して関係をつくりづらいのがすごく嫌だなぁと思います。

 

それでも私はこの2つの状態を行き来する自分で生きていかなきゃいけないのでどうにかこうにか生きています。

 

 

 

 

カレーが好き。

風邪をひいているはちみつです。ブログ更新を怠ったことをいいことに、いっぱい記事を書こうと思います。

 

私のカレー好きは数年前、安西水丸さんのイラストが表紙の雑誌:ポパイと出会ったことからはじまります。

 

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安西水丸さんは、私が高校生の時に亡くなられてショックでした。。。

(高校生の頃はちみつは女子高校生がポパイを読むことがカッコいいと思っていたし、安西水丸を知っていることはハルキストの常識だと思っていた)

 

この号は星野源ケンドーコバヤシさんの対談があったり、ゆらゆら帝国坂本慎太郎さんがオススメの本を紹介したり、さらに都内のカレーマップがついていたので、もう当時の私は宝物を手に入れたような気分でした。

二階堂ふみさんや浜野謙太さんのスナップがあるのもうれしかった。

 

さて。

話がそれましたがカレーです。

カレーは人を元気にしますし、その一皿は芸術です。

そこで今回はカレー特集ー!!

 

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1.吉祥寺 MOMO curry

野菜の素揚げチップスが特徴のカレーです。

店内にはミヒャエル・エンデのモモがありました。

 

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2.吉祥寺 くぐつ草

くぐつ草の雰囲気は地下にあるのもあってジブリっぽい感じです。ここの干しぶどう入りライスと種々のスパイスが重層にまざりあうこのカレーは最高です!

アルバイトの面接の帰りに食べました。

ペンケースがちょっと写っています。

 

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3.国分寺 ほんやら洞

とにかくここのカレーは辛い!!

でも食べたあと胸があたたかくなって元気になれるカレーです。そして大きくてやわらかいチキンを口にほうばることの喜び。

でもやっぱり辛くて涙ぐんだので生クリームを入れて食べました。

 

この他に吉祥寺の「まめ蔵」さんのポークカレーもあたたかで美味しい一皿なのですが、写真を撮るのを忘れていたので載せられませんでした。てへぺろ

 

どこか一人で出かけるとたいていカレーを食べます。他に思い出に残っているのは市ヶ谷のカレー屋さん。

定員さんが高校時代の同級生に似ていました...。あと英語のラジオがかかっていたのがよかった。

 

カレー屋さんでバイトしたこともあります。

高校生から大学生にかけての春休み、某カレーチェーン店です。

トマトトッピングが美味しいと思います。店員割引で食べたなぁ。

 

これから吉祥寺はほとんど攻めたので、これからは神保町のカレー屋さんに進出していきたいです。

 

ちなみに。

私がつくって美味しいと思ったのは牛すじカレーです。

ルーは横濱船来亭のトロピカルカレーフレークhttp://www.ebarafoods.com/sp/hakuraitei/products.html

が好きですが、他に良い組み合わせがあるかもしれません。

 

トッピングやスパイス、ルーの組み合わせでいくらでも帰ることができる....

これこそがカレーの奥深さなのです...

 

カレーが好き。

 

 

 

歴史

今日は9:45〜17:30まで図書館で本を読んでいました。

 

ゼミの発表があるのでその文献探しです。

 

テーマは「ドイツの歴史教育」にしようかなぁと考えています。

ドイツって現代史だけで1年かけるのだそうです。日本は現代史がとっても薄いのに!

そして教育と進路選択とか、国民国家とか考えると結構面白いテーマなのです...

 

といっても読んでいて面白かったのは

ジョン・ルカーチの「歴史学の将来」という本。(以下Amazonリンク)

https://www.amazon.co.jp/歴史学の将来-ジョン・ルカーチ/dp/4622077647

 

表紙はフェルメールのDie Malkunst(絵画芸術、絵の描き方)の女性。

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この絵の女性は歴史と英雄詩を司る女神、クレイオなのだそうです。名前は祝福する、という言葉に由来しているそうです。(うぃきぺでぃあより)

この女神を切り取って表紙にするところがこう、ぐっときます。

 

内容は小説と歴史の違いとか、歴史(学)はこういうものである、といったものでところどころに警句的、文学的引用があって面白かったです。

 

私が好きな引用はヨハン・ドロイゼンというドイツの歴史家の引用です。彼の経歴についていいとか悪いとかの判断は今の私にはできないけれど、彼の言葉はものすごく腑に落ちました。

 

「歴史とは光と真実ではなく、それを追い求め、それについて説き、それに身を捧げることである。歴史は光ではなく、光の証をするためにつかわされた洗礼者ヨハネの似ている」

 

なるほど〜って感じですよね。

いえ、この言葉の言わんとすることを全部理解するのは難しいですけど。

 

歴史には「つくられた」歴史と、「誰にも見つかっていない」歴史があるのだと思います。

 

この、「誰にも見つかっていない」歴史を辿るのが文書であったり、そういう証拠一連なのだと思われるのですが、これを再構成することが歴史家の役割であり、私たちが高校で知るような歴史はいわば「つくられた」歴史なのです。

 

その歴史は確かにそこにあったものなのかもしれないけれど、解釈の仕方や集めた史料、時代の流れによって「教わる歴史」はだいぶ変わってきます。

 

たとえばドイツは今でこそ現代史に1年をかけ、「ナチスの悲劇を繰り返さない」教育、悲劇を持つ国の国民として生まれたという歴史教育をしていますが、これは1960年代半ばから1970年代初頭に確立された特徴だと言われています。

 

これは1947年のポツダム協定に基づく方針だそうです。

「ドイツの教育はナチズムや軍国主義の教義が完全に払拭され、民主主義の理念が十分に発展するように規制されなければならない」。

 

と考えると「歴史ってなんだろう〜」って思いませんか?(私は思いました)。

 

日本の歴史について知るならば、きっともっと外側から日本を見る必要があるのでは、、、と私は考えます。

話はそれますが高校の科目で「近現代史のみ」ってちょっとこわいなぁって思います。つながりがわからないのって理解に苦しみそう。

(産経ニュース:「高校に「近現代史」新設検討 文科省、日本史必修化で」2014/8/17 アクセス日:2016/11/25 18:57 http://www.sankei.com/smp/life/news/140817/lif1408170002-s.html   )

 

でも人は生きていくのに仕事が必要ですから、

のんびりと構えて職業スキルに必要なことだけを考えて行動するのも悪くないかもしれません。

 

...そう考えるとマックス・ウェーバーは偉大だ...

(「職業としての学問」「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を書いたから。読んだことないけど)。