2017振り返り

1月:成人式、アルバイト応募

2月:引っ越し

3月:アルバイト

4月:大学、バイト

5月:大学、バイト

6月:大学、バイト・テスト

7月:クロアチア・トルコ旅行

8月:大阪・京都旅行、花火

9月:インターン

10月:発表・テスト

11月:発表・骨折

12月:フラ語テスト・読書と映画鑑賞

 

◎仕事

仕事に慣れるのに時間がかかりました。アルバイトで多く失敗をしたこともあって、時間の使い方や体調管理の仕方などの課題が多くみつかりました。夏の間は1dayインターンにもう少し参加した方がよかったのかなと思っています。

話しすぎに注意。

 

◎恋愛

もう少し思いやりをもつことが大事だと思いました。

 

◎健康

お薬を忘れずに飲みましょう。こまめにいろんなものを取り替えましょう。

 

◎お金

貯蓄をはじめましょう。

 

◎総評

2017年は目まぐるしく変化をする年でした。健康に気を配りながら、2018年も楽しく年を越せるといいと思います。

ムーンライズキングダム

実家に帰省し、DVDを見続けていました、はちみつです。

ウェス・アンダーソンの2012年の作品です。

島に住む12歳の男の子と女の子が駆け落ちをするお話です。

 

私はこの女の子(スージー)がすごく好きで、彼女が双眼鏡を肌身離さず持っている理由や(「遠くのものも近く感じる」)、危険を察知してナイフでボーイスカウト隊員を刺しちゃうようなことがすごくよくわかりました。

 

子どもは無力です。

外の世界に出たいのに、規則は大人の側にたってできていて、そういうことを解決するにはどちらかだけの「わかってほしい」では解決ができません。

 

ウェス・アンダーソンの、切り取られたような四角い画面、ファンシーでコミカルな灯台や舞台が素敵でした。

 

どこにあるのかよくわからない、都合上の「島」なのに

こんなにも魅力的に感じるのは、この舞台装置がまだ見ぬ世界や、安全に守られた庭としての機能をも同時に表しているからでしょう。

 

雨の日は君に会えない、晴れた日は君を想う

 

池袋新文芸坐にて。

邦題からして、なんとなくほわっとしたハッピーエンドな作品だと思っていましたが、「永いいい訳 みたいな話らしいよ」という声が聞こえてきてちょっと顔がひきつりました。

 

とはいえおもしろかったです。

 

妻が死んで、かなしいのかどうかすらわからない人が物を壊し、カスタマーセンターに手紙を書くという、こちらがみていても「キてるなあ〜」と思わせる行動をするところが物語の「承」にあたる部分です。

お父さんの理解ある風の接し方は、日々数字というあるようなないようなものを扱う主人公に「頭ではわかっているのに」と焦ることに拍車をかけたのだなあと思いながらみていました。

 

よくわからない、危ういものに近くなってしまう状況(映画だとわかりやすくものを破壊すること)心の弱い強いではなく、どちらかというとごまかせない 時によく引き起こされるのかなと思います。

 

主人公が最後にきちんとお父さんに会って話ができたこと、少年のメッセージを見届けることができたこと、言うまでもなく最初は混乱だけだったけれどきちんと「愛していた」と向き合うことができたことをきちんと映画のストーリーとして描かれていたことがよかったです。

ピアノの夢

指がどうもうまくまわらないな、と思っているうちに先生が「今日はここでやめましょう」と言う。

先生の子どもは大学受験のためにピアノを辞めるそうだ。「辞めちゃうんだー。確かにピアノは下積みが長いけど、楽しいのにな」と思っているうちに私は何歳だっけ? と思っていた。

夢の中では小学生とか中学生だったのに、私は大学生なのである。

私の心はどこに行ったら。

かなしい夢

私は新人のアルバイトで注文を受けて細々としたものを探す。

 

そこじゃない、そちらでもない、ここ、ここ、

と少し苛立った声を聞いてどうにかものの場所を探すが、

間違って袋を破いてしまう。

 

苛立っている人の横で申し訳なく思っていると、

それでもなんとか、明るく話しかけてみようとする夢だった。

2015年9月

島根から贅沢にもサンライズ出雲を使って東京に帰ってきた私は、中央線に乗り換えて吉祥寺で降りることにした。

 

井の頭公園でまるまる太った毛並みのいい犬たちが何頭も池のまわりを散歩した。恋人同士や老夫婦が話をして、どこかに立ち去っていくのを眺めていた。

 

9月の井の頭公園は美しい。

 

まだ緑の葉が水面にうつっていたのだが、時間が経つにつれていくらか秋の空気がしてきた。

お腹が空いたので東急に行く。

 

お弁当フェアだったので、人混みに困惑しながら、贅沢をこらした美味しそうなものがいくつかあったのに、気後れして茶巾絞りとお茶を買って屋上に行く。

 

デパートの屋上にはもう遊園地は広がっていないけれど、青空とペットショップコーナーのにぎやかさと子どもの声があった。

 

遠くに新宿のビル街がみえた気がする。

 

茶巾絞りが好きだ。

黄色の卵にご飯が包まれ、上には朱色のいくらと海老が華をそえている。

 

何年かあとに、思わず駅ナカで茶巾絞りを買ってしまったのはそんな記憶からだった。

そんな日々がどこかに

武田百合子さんのエッセイ、「犬が星見た」を読み終えました。

 

武田百合子さんの夫・武田泰淳と編集者の竹内さんの三人がツアーに参加し、中央アジアグルジアウクライナ、ロシア、スウェーデンに行く旅行記です。

 

あとがきでは「帰りの飛行機は宇宙船のようだった。私だけなぜ途中下車してしまったのか」という趣旨のことが書かれています。

 

読み終えて、夏のクロアチア旅行がありありと思い出されました。

 

旅行の思い出というのは、どれも大切な景色・瞬間に思えるのですが、何気ないことほど、きちんと覚えているものです。

 

その時私は午前3時か4時に起きて、「星を見よう」と言われて足音を立てないように外に出ました。

 

外気が冷たく、乾いているなか、ラピスラズリをもっと濃くしたような空に星が散らばっていました。

中でも明るい惑星や、見つけやすいオリオン座を眺めた後でゆっくりと規則的に動く点を見つけました。

 

それは人工衛星で、流れ星のように、けれどもゆっくりと星々の間を動いていくそれは日本ではついぞみかけたことがありません。

 

そんなことがとてもうれしかったです。

 

あの時の白い壁も、ブランコも、ひっそりとした森の息づかいも

そこにしかないもので、

そんなに遠くに来たんだな、ということがとてもおもしろかった。

 

それだけではないけれど、

その旅行を思い出す時

そんなことが私にもあったのだとちょっと誇らしかったのでした。

 

本を読めばどこにだって行けるし、誰にだってなれるのに、

でもきちんと生きていることがうれしい。

 

そんな日々がどこかにあることをとてもうれしく思います。