雨の日に一人で、じっとしているのが好きだ。

雨音を聞きながら紅茶を飲んだり、ゆっくり本を読んだりするのが好きだ。

水の音を聞きながら、私は考え事をしたり、この町に住んでいてよかったことを数えていたりする。

 

2月の雨は6月より冷たくない、気がする。春の訪れを感じさせる、あたたかな雨だ。

双極性、つらい。

たぶん14歳から症状があってどうにかこうにか生きてきたけど、やっぱり周りの人を振り回したり、どこまで頼ってよくてどこから一人でできることなのかわからないから辛い。

結果、いつも「助けて!」ってなる、

好きなこと、やりたいこと、こういう未来を語れば「躁状態」。

だからそれが普通に見えるように、スタンダードになるように、ちょっとダメなところはあっても、帳尻合わせられるように頑張ってきたと思う。

ダメなことや、周りに迷惑をかけてしまうことはなるべく避けようと思ったけど、だから一人で引きこもっていたくて、「お願いです。今だけ寝させてください」って繭の中にいるみたいに眠り込んだ。

 

積み上げたものがさらわれていくこと、なくなっていくという感覚は恐怖だ。

 

音も文字も言葉も全部滲んでベールをかぶった世界で心がなくなっていく。

人の声も聞こえない、言葉を話すことができない、あんなに好きで情熱を傾けていたものが、どうして。

 

運命を受け入れるとか、そういうところじゃない局面で、私はただギリギリの間に合わせだけ狙う。

今は死ねない理由があるから、それだけ悔しい。

大学生のまなび

中学の時好きだった授業は数学と理科(化学・生物)。

 

高校の時は特になし。

 

大学生になってから、好きだったのは

2年ゼミ、中東地域研究(って名前だった気がする)、フランス語、情報社会論、社会調査法(量)、あとまあ1年生の時にとった法学は好きだった記憶がある。

 

世の中のことをわかりたいな!

って意気込んだけど、開発経済とかアメリカ政治とかはどうも苦手だった。

 

それ以上に教育、とか心理はもっと苦手で、今考えれば数学科の人ともっと仲良くなっておけばよかったなぁって思う。

 

国際政治、とか国際機構論はまあ好きだった。

 

高校生のための適学診断! みたいなのを受けると「メディアが向いてます」って言われる。でもマクルーハンの興味があるわけではない。

 

そういう意味で、興味を広げられたのはよかったと思う。

 

けれど同時に専門性がまるで身についていなくて、なんとなく中途半端な気も同時にしていた。

 

(だから情報科学専攻の人とか、結構羨ましい)。

 

その他やったこと

・官僚の前で白い目で見られながらプレゼン

周防大島に行く....宮本常一好き

・TEDtalksの裏側を知る

・映画館、博物館でアルバイト

・塾講でもバイト

・インタビュー記事を書く

・学園祭の手伝い

・食育教育

クロアチア、トルコ旅行

・京都旅行

・2年の寮生活

・2年の一人暮らし

・出版社のアルバイト

・3日のインターンシップ

・1dayインターン:新聞、テレビ、人材、文房具

・フィールドワーク

・ゼミ

・就農に関するバイト

・地方創生(課題解決)グループワーク

・フランス語

・読書会

 

[やらなかったことでやっとけばよかったと思うこと]

ある程度大きな予算を動かせる長期プロジェクト。

 

...とはいえ小・中・高で取り組んで長期の何かはやっていた。

 

小学校:ピアノ(6年)、合唱(2年)、水泳(3    年)

中学校:ピアノ(2年)、吹奏楽(2年半)

高校   :勉強(2年くらい)

 

....とはいえ団体活動は合唱と吹奏楽くらいしかしていない。(真っ青)。

 

学生時代を一言で表すと

A Rolling Stones Gathers No Moss.

って感じですね...。

とりあえず個人作業好きなのはわかった。

そしてPCソフトにSPSSがほしい。

 

言語を比較する。

私の所属するコースは所属するコースゆえに、謎に外部講師の授業をとらなければならないことが多いです。

 

それでも言語を比較することって楽しいんだな、とレポートを書く最中に思ったのでメモをします。

 

接頭辞とか接尾語とかよくわからない。

大過去、条件法、目的語に取れる動詞、取れない動詞って本当によくわからない。

 

高校の英語は英作文なんて全くしなくて、受験科目に2題あったから急遽その対策をした程度で1000wordsのリサーチペーパーを書け、と言われて泣いていました。

はちみつです。

 

他の言語で書いたり話したりするのは苦手だけど、聴いたり読んだりするのはまあ好きで、なんでだろうな、と思いながら比較言語のレポートを書きました。

 

場面による違い、語法の意味(推定、伝聞など)によっても会話の内容は変わってくるのですが、そこで使われる言葉と文法のみを学習しているとやっぱりちょっと違っていて。

 

でも言語を比較しながら勉強していくと、日本語と〇〇語にはこういう助詞の使い方があるのか、とかわかって楽しいです。

使い方の違いが判ると、ますますその言語が好きになる、というのも確かにあるんだろうなぁという気がしました。

 

今まで外国語を勉強する意味ってただシステマティックに訓練をするためだけだと思っていたけれど、知って楽しいことっていっぱいあるんだな。

 

というお話です。

S先生の言葉

は、みんな大好き山田太一先生のエッセイなのですが、

私を支える言葉というものは確かにありました。

 

いっぱいあるんだけど、嬉しかった言葉。

「自分が損なわれたり、価値を脅やかすことがあったら、逃げなさい」。

 

 いや最近逃げてばかりのような気もするな、と思いながらそれでもその言葉は私を支えた。

 

その言葉はいくつかの呪いと辛さに対して一定の効力を持っていて、それができないばかりに苦しんでいたから。

 

うれしかった。

 

いやまあ他にも教えていただいたことは一杯あるのだけど。そしてたぶんそっちの方が重要なんだけど。

宗教に興味があるんですか?

っていうとびっくりされる。

 

私は興味がある。

そういう集団にいる人に興味がある。

 

神道キリスト教イスラーム も好きだ。(ブッティズムはそれほど)。

 

きっかけは、おそらく高校の時の友だちがさらりと言ったからだ。

 

「私、家が宗教を持ってるんだ。でも異端ってされてるやつ」

「そうなんだ」

「この辺は多いんだよ」。

 

へえ、という感じだった。

なんとなくなじめない様子があるのはそういうことだったんだ、と思った。

 

異端な人も異端じゃない人にも出会う。

そしてその人たちが何か特定の一神教を持っていることを疑問に思う。

 

いや、神道も好きだけどあれは結局藤原家がどうのっっていう話じゃん、とも思う。

 

結局外部に迎合されない部分を内面化して正当化しているだけなのだ。

でもそれに救われることもきっと多いのだと思う。

 

でも信じている人がしあわせそうではないのなら、何のために信じる必要があるんですか? と、素直に疑問である。

 

そういう集団が不思議。

 

内なる異性

河合隼雄先生の「夢にはアニムスとアニマがでてくるよ」を真に受けて、とても面白い夢を見たので書いておきます。

(つまり 備忘録)。

 

車の助手席に私aがおり、運転席には彼bがいる。

Bと私(A)は直接の知り合いで、しかし三年ほど前以来、Bとは会っていない。Bは私のことをとても嫌っていたという話があるけれど、直接話をしないまま会わなくなってしまった。

 

だからaはBの近況について尋ねたり、「お疲れさま」と声をかけたりした。

 

そうして運転されたままにすると、目的地に着いてからbは見せたい場所があるといい、aはそのことに同意する。bの思惑を察したaはいいよ と言う。

 

途中の信号で、なぜかbは車を置いたまま出てしまった。aはそれをbの都合だと信じていたが、Aの視点では、bはaが困ればいいとも思っていたのだろうと思った。

びっくりすることに、運転経験のないaは運転をすることができた。

基本的な動作を「夢の中で」したことがあったから、aは車を発進させ、少し先の駐車場スペースに車を停めることができた。

(現実に私にはそういうところがある。)

 

bは後から走って追いついた。近くに停めたから車の行方を知ることができたのだろう。

「運転できたのか」と訊いた。

「ううん、できない。夢の中でちょっとやったことがあったから」と答えた。

「見せたい場所があるんでしょ? 行こうよ」

 

そうしてジグザグに走り、変なところの停めることがあり、aは歌を歌った。

バッハのバイオリンパルティータ第3番だった。

 

いくつかトンネルを通り、

ある「知っている場所」を通り抜けた先に、チェスのルークの形をした公園の何かがあった。

そこに登って「これを見せたかったんだ」とbは言う。

すぐ近くに森があった。

 

そして私たちはキスをした。

たぶんaはbのその様子を前もって知っていたのだと思う。aの何かがbを揺さぶっていたことにも気がついていた。その苦しさにもaは気がついていた。

抱きしめる力は強かった。

 

結局、bはaが眠った時に建物に火をつけ、aをほかの二人と一緒に海の近くで縛って海に投げ込んだ。aは自分が海の中で沈んでいくことにも気がついたし、隣に別の女の子がいたことにも気がついていた。

 

そしてbは二人と歩き、「悪いことをした」というような話をしたあと、歩きにくいことに気づいた。

 

そしてaを助けに向かう。

 

もう一人の女の子は他の二人が投げ込んだが、助けられたのかどうかは知らない。

 

 

鳥が鳴いたところで目が覚めた。