キプロス問題

唐突に真面目なタイトルにしてみました。

 

キプロス

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そう、地中海に浮かぶこの島...

じつは一つの国だったり二つの国になったりするのです。

 

そのことはじめを扱った論文が

Sia Angnostopoulou

The passage from the Ottoman Empire to the nation-states• A long and difficult process

です。

 

これが私のゼミでの課題論文でした。

 

もうぴゃああ

って感じです。

 

ギリシアはオスマン帝国に含まれていたわけですが、フランス革命が終わり、

国家には国民がいる! 国民は民族や言語で分断できる!

運動がはやってきました。今のイタリアも、サルディーニ王国とかヴェネチアとかいろいろあったのをまとめてイタリアにしたわけです。

 

それがオスマン帝国領でも生まれていて...。

オスマンは宗教でなんとなくまとまってた国なのですが、(イスラームとキリスト正教会がそれぞれ折り合いをつけていた)

その中にはウクライナ人もいるしギリシア人もいるし、複雑な構成でもゆるく包括されていました。

 

ところが、ギリシアが民族主義に目覚めて「オスマンじゃない! トルコだ!」と言い始めて独立戦争を始めます。

オスマンの領土の中にいたコンスタンティノープル総主教(東方正教会のトップ)は責任をとらざるを得ません。

 

ということで「いうこと聞いて!」というコンスタンティノープル総主教(patriarch)と「いやや!」というギリシア。

さらに、オスマン帝国領にはまだギリシア人が住んでいるところなのでオスマン帝国も黙っていません。

 

そんな複雑構造の中、オスマン帝国から切り離され、イギリス占領下(とはいえイギリスは政府に関与しない)となったキプロス

6-7割はギリシア人正教徒、残りがマイノリティ運命のムスリム

これをどうにかせねばと一箇所にムスリムを集めてキプロス南としているのが今のトルコです。

 

.....

という論文を扱いました。

疲れた。

他のも読んでみよう。

 

そしてみんなmilletという言葉に惑わされまくりました。

 

 

先生「キプロスの話、あとで当てるね」

わたし「」

 

ゼミのみんながおつかれさまと言ってくれたのがうれしかったです。

 

 

自分へのご褒美に駅前のコロッケ屋さんでポテトもちなる揚げ物を買いました。

美味しかったぁ。

 

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まだ余裕だと思っていた時期に課題を広げていた時のごはんの写真。後ろにうつるex-wordがまぶしい。