16日水曜日に公立中高一貫校の高校生たちと、私の住んでいる寮生とで「進路選択について」というお話をする機会をいただきました。
寮生18人がばらけて、一人対高校生(2名〜多いところは20名ほど)がつく、というものです。
印象に残ったのは、移動時間に隣の同級生に向かって(1)「ここ、つまんなかった」と言った男の子と、(2)目の前に座って質問をしてくれた男の子、(3)自分を知るということがわからない、と言ってくれた女の子
です。
(1)の子が言ったことに対して、最初はすごくショックで落ち込みましたが、知り合いの「それはあなたの何かがその彼の何かを揺らしたんだ」という言葉に納得しました。何か思うところ、反発したいところがあったのでしょう。
こういう人の話をもっとちゃんと聴きたいと思ったけれど、今の私にそれができる場もなく、技術もなく... それが残念でした。
(2)英語に関しての質問をいっぱいしてくれました。(でもわたしのwritingは恐ろしく出来が悪く、今の大学に入れたのは露土戦争のおかげだと思っています。)
この男の子はすごく緊張していて、姿勢もよくて、でもその緊張感とかまっすぐさが私にも伝わってしまって、すごく緊張しました。
....でもゼミの先生の前や、社会人の方に連絡入れるときに私も気を張ってすごくカタイ文章の書き方をしてしまうので、なるほどゆるみみたいなものを身につけた方がいいかもと思いました。
とはいえ、そういう不器用さが成長する糧にもなっていたと思うので、不器用さは時に強みにもなるなぁと思います。
(3)体を動かすことが好きだが、それと進路がどうつながるんだろう? と聞いてくれた女の子。
うーん、確かにどうつながるんだろう〜
上手く答えることができませんでした.
高校生と話して思ったことはすごい難しい世代だなー ということです。
そして進路選択という名目で大学生に話を聞かせればいいと単純に考えたのであれば、この学校の先生たちの教育観を(軽く)疑います。
彼らが本当に悩んでいることに、私はうまく聞くことができたのだろうか?
もっと付き合い方が合ったのではないか?
と河合隼雄の「カウンセリング療法」「人生学ことはじめ」を読んでいて悩みが尽きません。
そういう対人的なソーシャルスキルが低い自分がすごく嫌だなぁと思ったりもしますが、
これは悩む価値のある問題なんでしょう。
っていうか大人になれば、自分が受け止める側になるわけですから、もう少しこういう反応に対してちゃんと悩もうと思いたいです。まあ、適度に。
話をしてくれる人の立場がわかったのは大きい収穫でしたし、図書カード2000円分もらえたのもラッキーでした。
人の心なんてわからないけれど、
人の話を聞ける人に私はなりたいのですー