アガサ・クリスティーのロマンティック・サスペンスを読みました。殺人のないミステリーの方が好きかな。
解説で栗本薫が「哀しい小説」といっていましたが、私は「恐ろしい小説」だなあと思いました。
この話しとモーパッサンの「女の一生」はかなり似ていて、でもものすごく違う点があります。
主人公はどちらも世間知らずの自己完結型女性です。名前もジャンヌとジョーンで似ています。ジョーンはジャンヌの英語読みですね。
ストーリーは大まかに、娘の手伝いにバグダットまで行った女性が帰路に着くまで、いろんなことを思い返すお話しです。どちらの女性もほとんど成長しません。とはいえ違うのは、ジャンヌは共感から批判的に書かれるのに対して、ジョーンは批判的から共感できるように書かれていることです。ラストのエピローグでは、ロドニーが少し嫌なやつに見えてしまいました。
ジャンヌは自分の中できちんと悪いものを悪いと思っているわけだし、苦しんでもいるわけですよね。
彼女のような生き方を無下にはできないところが恐ろしいと思います。
ただ一方で 娘たちが反発するのもよくわかるし、旅先で出会った人の言葉もはっとするような文章が多くあります。
ジョーンは今度、夫が死ぬまで内面的なヴィジョンを見ることはないでしょう。
それから公爵夫人に好感を持ちました。
徹底的におちぶれてほんのわずかな希望を与えてくれるのはモーパッサンの「女の一生」ですね。
どちらも夫婦関係はひどいものですが、それにしてもロドニーとジョーンの関係は哀しいです。
自分の弱さが似た者同士ゆえであり、だから夫婦でいることは、結婚に対してものすごく悲観的なものに思えます。
エイブラルが幸せであればいいのだけど。
そしてきっとこの話しがどこか遠くに思えるのは、自分にもあるそういう、狭くて自己完結している嫌な面について触れないでいるという、まさにジョーンと同じことを読者がしてしまうようにできているからでしょう。
こういうことは共感できるように書かなければできないことです。
もっと多くの人にこの小説が読まれて欲しいなと思います。