弱点の克服方法

ケストナー、丘沢静也訳、「飛ぶ教室」、2014年、光文社

 

作家のジョニー、弱虫のウーリ、秀才ゼバスティアン、リーダーのマルティン、けんかに強いマルティン

印象に残ったのはこのゼバスティアンのこのセリフ。ウーリが骨折をした後、ウーリの行動は絶望の勇気ではなく、恥を知っていることを指摘したうえで言う。

「これまでにさ、ぼくに勇気があるかどうか、考えたことってある? ぼくが臆病者だって、気づいたことある? ぜんぜんないよね。だからこそここだけの話だが、ぼくって、ものすごい臆病者なのさ。でもね利口だから、誰にも気づかれないようにしているんだ。ぼくはさ、勇気がないからって、特別に悩んだりしない。恥ずかしいとも思わない。それもまた、ぼくが利口だからなんだ。どんな人間にも欠点や弱点がある、ってわかってるからさ。その欠点を気づかせないようにする、ってことだけが問題なんだよ 」

 

また、ジョニーはウーリの両親が「あんなことをするなんて」といったときに

「避けるわけにはいかない、つらい経験ってものがあるんです」「ウーリが足を折っていなかったら、きっと、もっとひどい病気になってたと思います」

 

という。

 

「ウーリが(実は)勇気を見せるために窓から傘をつかって飛び降りた」ことが骨折につながった時にこのように考える二人の言葉にはっとする。

 

気づかせないようにすること、思い切って行動すること、どちらが大事なのだろう。

 

ウーリの行動には「大人になるための儀式」のような意味がものすごく込められていて、一方では非合理的に映るかもしれない。儀式なんかしなくても大人にはなれる、利口さで。。というような。

 

私は友達に、「あなたは弱さをオープンにする。私は閉じている」と言われたことがある。オープンにするというか、成り行きでそうなってしまうのだけど、きっと彼女は賢いのだろう。実際周りに人によく思われる人で、みんなが「あの人って結構周りによく思われたいんだな」と思うのは時間の問題だったと思う。「中には孤独があるんだな」と。

 

孤独を適度に見せながら、自分を見せないようにする方法もあるかもしれない。

 

とてもうまいやり方だと思うし、なんとなく多くの人はこういうことができているのだと思う。(村上春樹はそうだと思う。「孤独なんすよー」と内心で言いまくりながら、会話ではちょっとしか弱みを見せない。あと女にしか弱みを見せない)。

 

ウーリみたいな欠点がでてしまう人は、克服していくしかないのだろうと思う。勇気と賢さで。飛び降りずにこのことを実践していくのはとても難しい。

 

具体的な方法はまだ思いつかない。

きっと「ブログを書く」とか「鏡に向かって笑顔になる」とか、そういう小さなことの積み重ねなのかもしれない。

 

作者は前書きで勇敢さと賢さの両方を持つことが大切である、と説く。

 

宿舎の子どもたちが成長していくように、私たちも、子どもの心を忘れずに、大人になっていけたらいい。

 

☆そういえば私の弱点は「話が飛ぶ」「話の論点や意図がずれる」ことらしいのですが、ブログを書いていて とりあえず書く→方向性に合うようにタイトルをつける→いらないところはカットする  をしていました。

論点がずれないためには、タイトルをつける→方向性を決める→書く 

という作業が必要なのかもしれませんっ

 

次回はちくま新書「『考える』ための小論文」 です。

よろしくお願いします(*‘∀‘)