「普通であること」についてお話を伺いたい、というお題が来たので備忘録のために書いておきたいと思います。
私が考える普通とは、
お金が数えられることであり、ものをなくさないことであり、「変わっている」といわれないことであり、そんなことに一々傷つかないことであり、計画的になり、人の言うことをきちんと聞けることであり、コミュニケーションが問題なくとれることを言います。あと、電車の乗り換えを間違えない能力です。
でも私が「好きだな。いいな」って思った人たちは「変わっている」と人に言われた人たちだったし、
つまり私は「変わっている」と「普通」な人に言われる人が好きなわけで、
でもその人たちが全然「変わっている」とは思えないし、
つまり「普通」な人たちのほうが「変わっている」のでは?
・・・と言い切る自信は正直ありません。
「普通」は誰とでも渡り歩くためのマナーなんだな、と最近気が付いたからです。
だから私もマナーを身に着けたほうがいいと思うし、
最低限「これはしない」ということを決めたほうがいいのかな、と思いました。
そこで私が「なるべくしない」と決めたことは、「なるべく乱暴なことは言わない」
ということです。毒を吐かないようにしよう、と思います。黒柳徹子さんの受け売りです。
というのも最近、すごく嫌なことがありました。
うーん、なんというかちょっと傷ついたことがあって、
それはその人が私に対して傷ついたことがあったから、そんなことを言うのかなあ、ということでした。
別にそのことがすごく子どもっぽいとか、鏡を見ているようだ、とかいうことにはしたくなくて、ただ単に「嫌だな」と思ったんです。
二十年ちょっと生きて単純に嫌だと思ったことって、まあ何回かありますけど、同い年の人に言われたのってはじめてでした。
「気づいてよ!」って声を上げるのってそれなりに相手に負担をかけているし、自分も負担になるんですよね。自分がどれだけ変われるか、適応していくことができるかということがとても大事な気がしてきました。
「普通」って、人によって全然違うなあ、と思うのですが
私がとりわけ大切なのは、人とうまくやっていくために何が大事なのかを考えていくことなのかな、と思いました。
そのためには自分のことをちゃんと好きになれたり、自分のことを知るというのが大事だと思うのですけどね☆