「(500)日のサマー より現実的」という前評判を聞いていて、ずっと観たかった映画をやっとみることができました。
結婚7年を経た夫婦の過去と現在を交互に描く映画です。
いろんなレビューを観ていると、どちらかというとディーンに共感する方が多いみたいですが、私は「現在」のシンディに共感していました。
窓のない意味不明なコンセプトのラブホテルが「デート」(つまり女性の好みが一切反映されていない)、でその前に元カレに会ったこともあって、セックスにイマイチ乗り切れないこと。挙句「俺の子どもが欲しいよ」と言われた時には拒絶したくもなります。だって本当は「それどころじゃない」から。それなのにドア越しに「開けてくれよ!」と言われたって怖いだけです。彼女にとって男の人は、自分を性の対象としてみるだけの人だし、それが愛情とはどうしても思えないのです。
彼女のことをディーンは感づいていて、「欲しいのは君の身体なんじゃなくて君自身なんだ」と言います。
シンディとしては子どもを育てる経済的な収入も必要で、通勤2時間かけるのも大変で。支えてくれる人がほしいのに、ディーンは朝からお酒を飲むペンキ屋さんで。
彼女は「支えてくれる人」が欲しいだけで、そんなディーンを愛する余裕がない。娘のフランキーだけでいっぱいいっぱい。
レビューには「シンディは上昇志向だ」という意見も多く寄せられていましたが、上昇志向というより、そうせざるを得ないだけなんですよね。
この二人が徹底的に欠けている視点は、お互い ただ一人の人間であるということ、だから一緒にいる意味があること を忘れて恋愛関係に終始しようとしている点です。
とはいえもともとの原因はシンディです。
妊娠が判明して、中絶をやめたのはシンディの結論であり、また本来相談すべきであった元カレにも相談をしていなかったのは他ならぬシンディでした。
とはいっても、中絶の処置のシーンは観ているだけで身体がかたくなり、呼吸が乱れたので、取り乱さなかったシンディは本当にこわくて心細かっただろうと思います。私だったらずっと叫びまくるし、そのせいで余計痛みを感じるだろうし、その後の心の痛みも引きずることになるでしょう。
けれど「現在」、冷却期間も置かずにディーンと別れて、何かがよくなるとも思えません。フランキーも懐いていたわけだし。現状を悪くしないために別れるのならよいかもしれませんが、問題は依然としてシンディに残されるのではないかと思います。
つまり、彼女が男性に寄りかからず、1人で生きていくことができなければ、また同じことを繰り返してしまうような気もするのです。