好きな人が登壇するイベントがあったので、予算配分をした後、電車に飛び乗った。
もっと大学生をしていたかった....
と思いながら、自分にびっくりしたことが一つ。
どの人の言葉にも頷きながら、どの人の言葉にもそこまで感化されない自分がいたことだ。
大学生の時なら、吸収したいこと、歯牙にもかけないことがはっきりしていたかもしれない。そして夢中になれることにはとことん沿うことができたかも。
それは幻想で、大学生の時もぼんやり迷ったままだったかもしれない。
結局どれが正解なのだろう? と。
自分で正しくしていくのである、
という言葉を聞いたことがあり、深く感心した私だけど、
上司(イケメンのおじいちゃん)に度々言われることがある。
考え方の基本を置け (解釈)
と言うことだ。
最近(3時間くらい前)、
私は常に流されやすいのではないか?
と思った。
いろんな人がいろんなことを言うから、それら全てでバランスをとりたくなってしまう。
協調性はないのに孤立すると人が怖くなるから、思い切ったことができない。
「間違えてもなんとかなる」と言う人は多いけどなんない。
間違えたら間違えた分だけ、辛さがあるし迷いも残る。宿題みたいにそれが残り続ける。
焦りがずっと残る。
それを埋めるために他人の時間をとることは、とても苦しいし、見苦しい。
あぁ、もっと勉強したい、
と思う。
私の中に沈むこのもやもやとしたたくさんのトピックを、消化していく方向がないものだろうか。
そのためには、解決しなくてもまとまらなくても、書き続けるしかないんだと思う。
書けなくなってしまう前に。