角田光代さんの文章をはじめて読んだのは中学生くらいだったかと思う。
国語の文章題で角田さんの小説が取り上げられていた。
無駄のないリアルな描写に行く先が気になった。
主人公は誰かを依存させることを与えることだと考えている、全力で空虚さから逃げることのできる人物なのではないかと思った。
その空虚さは夫が妻の自立を阻んでいることに起因していて、何かに感動したい、とか何かにやりがいを感じたい、という気持ちが横領や年下の大学生との恋愛にはまらせたのではないかと思った。主人公は自分が主体的に行動できるという実感が持てないから、消費することで空虚感をごまかしているのだ。
それなのに、追い詰められて疾走する彼女にはどこか爽やかささえ感じる。
私の人生はスタートしたばかり、と言わんばかりの清々しさがある。
けれども逃げ続けるのは体力のいることで、お金は有限である。
彼女は自由になれたのか。また別の地獄へと進んだだけではないのだろうか。
彼女は自分の中にある空虚さを、どうすればなくすことができるのだろう。
タイの雑踏に答えはあるのか、それも私にはわからなかった。