40ドルに手をつけようとしたことで8年の懲役となった水兵を、海軍士官の2人が刑務所まで護送する、という話。
早稲田松竹で観た。
「好きな俳優は?」と訊かれると「ジャック・ニコルソン」と答えるようにしているので、ジャックの演技が観れたのはよかった。
(今まで観たのは『カッコーの巣の上で』、『シャイニング』、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、『ア・フュー・グッドメン』、『最高の人生の見つけ方』くらいだけど...次は『イージー・ライダー』を観たい!)
最初は水平のメドウスの幼稚さや人間としての弱さをバダスキー(ジャック)は理解していて、ただメドウスよりも世渡り(というか物事の塩梅)が上手いから、こんな風に生きたらいいよ、ということをアドバイスしたいのかと思っていた。
印象的なのは「溶ろけたチーズ」と「卵」のシーンで、バダスキーは「このチーズを溶かすようにお願いしたいのですが」というようなバダスキーとしては丁寧な字幕訳だったのに対し、メドウスは「軟らかくない」というような命令口調だったことだ。
バダスキーは「思い通りにするなんて簡単なことなんだよ」と言い、思い通りにできることとできないことがある、というのが人生のままならなさを感じるラストにつながるのだが、このことからみても、バダスキーは現実主義者で、できることとできないことの区別をつけるのが絶妙に上手い人物なのではないかと思った。
それから日蓮宗系の新興宗教が出てくる場面も面白かった。バダスキーは「俺はこの空間は嫌いだ」と言っていて、歌い続ける人たちと、新興宗教にハマっていきそうなメドウスが対比されていて興味深かった。
「自分は無力だから救われたい」という気持ちと「与えられた条件の中で自分のことは自分で切り開いていくしかない」という姿勢の対比、というか。
全編を通してみて、『蜘蛛の糸』(芥川龍之介)のような話だとも思った。
救いたいという他者の支援と自分でなんとかするしかない、というところのバランスという点や、結局は己を省みなければ何度も同じ間違いをしてしまうだろう、という点である。メドウスもカンダタも自己中心的な人間であることに変わりはない。
閑話休題。
そんな感じで、最初はメドウスの気持ちもわかっちゃうなーと思っていたのだが、仕事をしてからバダスキーの気持ちもわかるようになった。「こんな任務はもうごめんだ」という気持ち。
情があるからその人のためになることをしたいと思うけど、それが誰のためにもならなくて、情があるから自分たちを悪とする時の気持ちが、よくわかったのである。
早稲田松竹のポスターの中に、「バダスキーは組織人で〜」とか書いてあったけど、組織人だからではないと思った。誰かの弱さに目を瞑って第三者に自分が悪かったのだということって、組織人じゃなくてもあることだと思う。
最初にバダスキーはメドウスの弱さを理解していて、と書いた。
でもメドウスはもっともっと弱い人間だった。
人のことなんて理解できない。
人間と人間とのことなんて複雑で簡単にはいかなくて、想いが届かないことはよくあることだ、それも思い出ではあるけれど。
...という、ことが描かれていた点でとても良い映画だった。