電車で移動中、暇すぎるのでぱっと考えたことを書き起こしてみようと思います。
日本の大学教育が無償化になっていないこほが北欧と比較して時折問題視されますが、これはあっさり
①税金の問題
に集約されます。消費税が上がったら困るでしょ、自給自足もできないのに、というわけです。
また大学全入時代と言われて久しいですが、
②教員の確保
の問題もあると思います。
日本の大学院は、(人文学系の場合)奨学生が博士課程に進むまでに奨学金返済額が900万円にものぼると言います。
研究を続けるには学会に認められるような学府に進学して結果を出さないといけません。しかしたとえば日本文学ならまだしも、フランス文学、心理学、社会学、政治学などは留学や直接海外の大学院で研究した方が助教授など大学のポストを得やすいということが言えます。
大学院進学があまり一般的でないこと(また私は不必要に大学院を設置しすぎると思うのですが)を念頭に置くと、日本での人文学系の学問の発展には限界がある気がします。
そもそも人文・社会学系統の学問の発展が西欧由来のものにちょっと限界がありますね。英語は共通言語だとしても、ラテン語・ドイツ語・フランス語など専門によって言語も分かれてきますし。
③教育は経済発展のためにある?
たぶん最大の争点はこちらで、教養教育よりもビジネス・理工系が新しいビジネスモデルの発展、科学技術の発展に寄与し、そのことがひいては国益になることが容易に想像できます。
プラス、私が実学>教養教育
の現場を考えるときに主張したいこととして国民の文化感度があります。
落語・歌舞伎・狂言といった伝統芸能のみならず、ミュージカルや音楽までも遠い存在になってしまっていること。
本を読まないこと、電子書籍でマンガを読む人が増えていること。
大学教育を無償化する前に、小学生から大人まで「文化的」というものにもっと接してほしい。文化的と欧米化は違います。
大学教育無償化という切り口でしたが、大学の教養教育という点を見落として欲しくないこと、文化というものをもう一度見直せるような制度があればいい、ということでした。