バナナ・ジュース

今日はお休みの最終日だった。

北海道に来て博物館に行ったり、本を読んだり、ウイスキーを飲んでボードゲームに興じたりと散々遊び回っていたのだが、それにしても休日というのには終わりが来るのだった。

 

警視庁を名乗る人間から電話を受けた。普通の日常を送っていれば警視庁からの電話なんて受けることはない。だからその電話の受け答えをして私はややナーバスになった。

よくミステリー小説やサスペンスドラマの受け答えで、「ご存知なかったですか」と訊かれる。それに対して私は「こういうことだと思っていましたけど」と答える。相手は「こういうことになっていたんです」と言う。自然な会話である。

 

そんな会話をして、後になってコーヒーを飲んでいる時に振り返り、「確認の電話というのはこんな風にするものなんだな」などと思った。そんなことを思いながら、私はそのカフェのボードに書いてあるメニューを眺めた。プリン、アフォガード、イチジクの赤ワイン煮バニラアイス添え、などなど。それらは別に値段順にもなっていなかったが、何かの順番にしないことには意味が込められているのだろうか? と疑問に思った。それとも私が読み取れていないだけでこのメニューの羅列には意味があるのだろうか? ーーとも思った。

 

それから私は今までに寝たことのある男のことを考えた。

ある人物は善というものを持ち合わせていて、ある人物には常識があった。ある人物にはユーモアがあって、別の人間の愛し方は精巧なロボットのようだった。

幾人かの人のことが思い浮んだが、そのうち誰が誰だかわからなくなった。

 

今朝、私は夢を見ていた。

知っている編集者が台湾に取材に行こうという夢だった。台湾中部の田舎に私の知るべきことがあって、それは「私の経験にもなるのではないか」、「決められるのなら早いうちに決断してほしい」ということだった。

行きたい、と思ったけれども、その編集者が男性だったことでためらいがあった。ということで、うわごとのように先に目覚めたパートナーに向かって「台湾に旅行に行ってもいいの?」と話しかけていたようである。

 

奇妙な一日だ、と目の前にあるバナナ・ジュースを飲みながら思った。

それにしても私はなぜバナナ・ジュースなんか頼んでいたのだろうか?

新しい自分になりたいなら北へ

引っ越しの準備をしながら合間に『呪術廻戦』のあらすじを眺めていた。

 

その中に

「新しい自分になりたいなら北へ 昔の自分に戻りたいなら南へ行きなさい」

という言葉があった。

 

なんの啓示?

 

北海道に旅行に行く人が最近多い、ということは書いたけど、移住は沖縄が多かった。

ほら、前の病院の先生も沖縄に行っちゃったし。

インドネシア音楽を聴いて「インドネシアに行きたい〜」とかも思ったりした。

 

しかし私は北へ行くのだ。

 

引っ越しの日は雨が降った。

雨の中物を運んでもらい、退去の時間まで床を拭いた。

退去費用が結構かかって落ち込んだ。

引っ越しをしようとしてみると寂しいものがある、というか自分の一部がなくなってしまったように感じた。

 

上京した時も、寮を離れた時も、一人暮らしの家を去った時も、山梨に行った時も、また一人暮らしに戻って東京に行った時も、この寂しさを感じた。

 

ホテルの近くのコンビニでカップラーメンを買って泣きながら「美味しい」と言って食べた。

 

翌日、なぜか持っていたロクシタンのシャンプーとリンスで髪を洗い、入浴した。

朝食にはホテルが用意してくれた小さなパンを食べた。

ホテルを出て駅に向かった。

 

3月のことを思い出していた。

同じような場所に来ているのだが、まさか自分が北海道に行くとはーーこの時はつゆほども思っていなかったのではないか。

 

白くて高いマンションが青空に映えていて、「いつかこういうところに住んでみたい」と思った。

 

羽田行きの電車に揺られて、空港に着き、先に荷物を預けてから搭乗手続きをした。

チェックインはオンラインで済ませていたが、そういえば搭乗券を発行していなかった。

普段格安航空しか使っていないからである。

 

ラウンジにたどり着くと、窓から飛び立つ飛行機が見えた。

東京湾も見えた。

 

羽田空港を発つ時、「さよなら 東京」と心の中で呟いた。

 

 

朝食に鴨南蛮を食べる。

鴨肉(合鴨)...315円

葱...178円

深大寺蕎麦...400円

鴨だしつゆ...210円

 

鴨南蛮を食べて、残っていた日本酒「夜明け前」を飲んでまた眠った。

起きると午前11時半だった。

そのままだらだらと求人票を眺めたり、メールのチェックをした。

冷蔵庫にあった、友人からもらった紅玉(林檎)をしゃくしゃく音を立てて食べた。

 

引っ越しの準備と転職活動をしなければならず、合間を見て友人に挨拶に行っていたから、ここのところ忙しかった。

 

こういう時はあえて暇をつくらねばしんどくなってしまうものだ、などと思って休む時間をつくろうと考えた。

 

近所のインド料理屋でマンゴーラッシーを飲み、簡単な食事をとった。

役所に向かうまでに小学生の運動会の練習などを外から眺めた。

先生のアナウンスがいかにもやる気がなさそうで面白かったが、その人もまた運動会の練習をやりたくてやってるわけでもないだろうと思った。

 

昨日行った友人宅で好きなことを話してご飯を食べ、ワインを飲んで楽しかったことなどを思い出した。

みんなに見守られているという気がした。

 

役所に来ると、住民票を移すのに10人も待っていることがわかった。

 

帰ったら飛行機のチケットの振り込みをしようと思った。

 

それにしても眠いと思った。

秋だからか、引っ越し及び退職に伴う身体の変化なのかわからなかった。

 

仕事をしている時は一日が長く感じられたけど、辞めてからは短く感じられた。

 

役所からの帰り道、私はなぜ北海道になぞ行こうとしているんだろうと思った。

9月に旅行に行った旭川の、あの暗い夜に浮かんだ三日月のことを思い出した。

また泊まったホテルのことを思い出した。

 

帰宅して、棚の書類を引っ張り出したりした。

段ボールを組み立て、封をし、荷造りをする。

 

いらない書類と使えそうな書類に分けた。

 

小一時間くらい経った後、洗顔をして化粧をした。

 

洗面台をふと見やると、男性用のカミソリが置いてあって恋人を少し恨んだ。

別にカミソリなぞ置かなくていい気がしたのである。

こういうところがよくわからない、と思った。

(マーキング行動なのか?)

 

コンビニに行って飛行機のチケット代を払った。

 

ホテルの予約も航空チケットの支払いも済ませた。あとは郵便物の転居届を出すのみである。

 

先輩と同期と同期の同僚が来てくれる飲み会に向かった。

日本酒をいっぱい飲んで楽しかった。

同期の同僚という人がいっぱい話をさせてくれてめちゃくちゃ気持ちよく酔えた。

勝利の美酒とはこのことか...?

 

「朝に実は飲んでた」

と言ったら全員から

「朝!?」

という反応が返ってきた。

 

同期と先輩が良い雰囲気なのでいいなと思った。

 

人を好きになるのは、と思った。

人を好きになるのはやはり運命づけられているのではないか。

信頼関係が、とかそんなことよりも、その人との関係が先にあって、それはどう変えられないようもないのではないか。

 

 

 

 

 

 

方位災難除けをしてきた。

住んでいるところの近くにお寺がある。

神社仏閣巡り(さらにモスクや教会を含む)が好きなので、気が向いた時に行っていた。

前におみくじを引いた時にお寺の本坊で何やら火を焚いているな、などと思い、それは祈祷なのだということを後で知った。

いいなー、と思ったまま時は過ぎ、退職を決め、引っ越しのスケジュールなどを組んでいる時に、ふと「ご挨拶しなくちゃな!?」と思った。

この地に引っ越してきて見守っていただいたのである。

ちゃんとお詣りをしなければならない。

 

と、イスラームはじめ宗教文化好きの私は思ったのだった。

 

調べてみると、祈祷には時間が決まっているらしい。ふむふむ。

そして何を祈るか(あるいはお祓いするか)も選べるらしい。

学問成就、家内円満、交通安全などなど。

厄除けもあったのだけど、せっかくだし私は方位災難除けというものをすることにした。

引っ越すし、引越しには向かない運気とかだったら嫌だし。

 

ということで、今日は朝5時には起きて、身なりを整え、退職にあたり必要なものや情報などをノートに書き留め、洗い物をしていた。

大体目安の時間になると、外出の準備を始めて向かった。

 

事務所の受付にある紙に名前などを書き、微々たる額だけれどもお納めした。

その後は誰もいない本坊でぼーっとしていた。

 

そのうちに、作務衣を着た男性が来て、もっと近くにいていいですよ、と言った。

お寺は立派なもので、この間行った清涼寺にも負けないくらいでは、と思った。

(京都の清涼寺を気に入っているのである。)

 

そのうちに緑の法衣を着たお坊さんが来て、このお寺にいらっしゃるのははじめてですか、とかこの器には清らかな水が入っており、などと説明をしてくださった。

 

そうしてしばらくすると鐘が鳴り、緑の法衣を着たお坊さんと赤い法衣を着たお坊さんが列をなして本尊のいくらか手前に来て、お辞儀を始めた。

 

私は仏教というものをよく知らないのだが、祈祷をしていただく(正確には護摩を焚いていただく)のははじめてで、お坊さんのお経を聞いてなんとなく自分も祈りはじめた。

さらば冬のかもめ』に日本の宗教がシニカルというかコミカルに描写されたシーンがあり、確かに読経に耳を澄まして手を合わせるというのは不思議な気がしたけれど(モスクで礼拝をするところを眺めていたのでそちらの方にいつのまにか親しみを感じてしまっていた)、祈るということはこんなにも必死になる行為なのだ、ということを思い出した。

 

気がつくと、火がゆらめき、読経の声は芭蕉の句のようにも聞こえてきて、一生懸命に祈っていた。

祈る、という聖なる感じよりは、どちらかというと「もうほんとうにお願いします!」というような結構に甘えた態度だったと思う。

退職することや、急遽、北海道に引っ越すことになったことや、最近感じる身体の不調や自分の心の中を覗くような夢を見たことから、なんだか私もなりふりかまってられずにはいられなかったのである。

 

祈祷を終えると、お坊さんに呼ばれてお札を受け取った。

名前と年齢が書いてあった。

私はそれを大事に抱えて秋めいてきた日差しの中を歩いた。

呼ばれる

実家に一時帰宅することにした。

これから仕事を辞めて北海道に行く。(こととする)。

その前に挨拶を兼ねて、実家に帰ろうと思った。

考えてみれば北海道には「呼ばれている」ような気がした。

私が北海道行きを決めたのは、偶然がいくつか重なった結果であるけれど、よくよく思えば、目につくものが何かと「北海道」であったのだ。

たとえば軽井沢に行った時、車線変更をしてきた車のナンバーが札幌だったり、スーパーで見かけるものは北海道牛乳はもちろんのこと、ハスカップのサイダーを目にしたり、氷室冴子さんについて気になるな〜と思ったり...。

最近読んだ『黄泉のツガイ』の原作者の荒川弘さんがやっぱり北海道出身だった。

Instagramの投稿で眺めた時に、札幌に行っている人が3人もいたり......。

社長や別の部署の課長や同期がやはり北海道に行っていたり...
偶然目にした短歌が柳澤美晴さんのカムイコタンについて詠んだ作品だったり...
いやまあ ついこの間、私も北海道には行ったのだけども。

あとは、人生ではじめて乗った飛行機がやはり北海道(新千歳空港)であったな...などと。

 

高校の先輩を訪ねて宮崎に行った時、

天岩戸神社と、青島神社鵜戸神宮に参拝して、「呼ばれる、ということがある」らしい、とはその時も思ったのだけど、私は北海道に「呼ばれて」いる。

ホックニー展に行って来た。

美術鑑賞が趣味である。

この間は近代美術館のガウディ展に行ってきたし、その前はテート美術館展に行った。

ホックニー美術手帖でも取り上げられていたので、「現代美術も観ておくか〜」の気持ちで行った。

取り上げられていたのは、比較的最近の作品が多く、とりわけiPadで描いた作品が多いようだった。

じーっと観て、「これ iPad じゃん!」となったのはこちら。(写真可エリア)

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3階から作品を鑑賞することになるのだが、いくつかのスケッチの中では雨の絵が好きだなと思った。

肖像画は、人の性格まで伝わるみたいで面白かった。

 

印象としては「とにかく絵を描くのが好きな作家なんだな」というもので、ものすごい量のスケッチが展示されていた。

 

私はホックニーがたまに描く、影のついた水仙の絵とかが好みだと思った。

あらゆるグッズになっていた《クラーク夫妻とパーシー》はやっぱり良い絵だななどと思った。

 

かねてよりミュージアムショップで売られているTシャツが欲しかったのだけど、水仙の絵のそれを買ってしまった。

 

人物も描くし自然も描いている作家だけど、私は彼の作品としてはデザイン、というか目に見えたものを自分の手を動かすことでどう再構築するか、みたいなことが好きな人なのかなと思った。