方位災難除けをしてきた。

住んでいるところの近くにお寺がある。

神社仏閣巡り(さらにモスクや教会を含む)が好きなので、気が向いた時に行っていた。

前におみくじを引いた時にお寺の本坊で何やら火を焚いているな、などと思い、それは祈祷なのだということを後で知った。

いいなー、と思ったまま時は過ぎ、退職を決め、引っ越しのスケジュールなどを組んでいる時に、ふと「ご挨拶しなくちゃな!?」と思った。

この地に引っ越してきて見守っていただいたのである。

ちゃんとお詣りをしなければならない。

 

と、イスラームはじめ宗教文化好きの私は思ったのだった。

 

調べてみると、祈祷には時間が決まっているらしい。ふむふむ。

そして何を祈るか(あるいはお祓いするか)も選べるらしい。

学問成就、家内円満、交通安全などなど。

厄除けもあったのだけど、せっかくだし私は方位災難除けというものをすることにした。

引っ越すし、引越しには向かない運気とかだったら嫌だし。

 

ということで、今日は朝5時には起きて、身なりを整え、退職にあたり必要なものや情報などをノートに書き留め、洗い物をしていた。

大体目安の時間になると、外出の準備を始めて向かった。

 

事務所の受付にある紙に名前などを書き、微々たる額だけれどもお納めした。

その後は誰もいない本坊でぼーっとしていた。

 

そのうちに、作務衣を着た男性が来て、もっと近くにいていいですよ、と言った。

お寺は立派なもので、この間行った清涼寺にも負けないくらいでは、と思った。

(京都の清涼寺を気に入っているのである。)

 

そのうちに緑の法衣を着たお坊さんが来て、このお寺にいらっしゃるのははじめてですか、とかこの器には清らかな水が入っており、などと説明をしてくださった。

 

そうしてしばらくすると鐘が鳴り、緑の法衣を着たお坊さんと赤い法衣を着たお坊さんが列をなして本尊のいくらか手前に来て、お辞儀を始めた。

 

私は仏教というものをよく知らないのだが、祈祷をしていただく(正確には護摩を焚いていただく)のははじめてで、お坊さんのお経を聞いてなんとなく自分も祈りはじめた。

さらば冬のかもめ』に日本の宗教がシニカルというかコミカルに描写されたシーンがあり、確かに読経に耳を澄まして手を合わせるというのは不思議な気がしたけれど(モスクで礼拝をするところを眺めていたのでそちらの方にいつのまにか親しみを感じてしまっていた)、祈るということはこんなにも必死になる行為なのだ、ということを思い出した。

 

気がつくと、火がゆらめき、読経の声は芭蕉の句のようにも聞こえてきて、一生懸命に祈っていた。

祈る、という聖なる感じよりは、どちらかというと「もうほんとうにお願いします!」というような結構に甘えた態度だったと思う。

退職することや、急遽、北海道に引っ越すことになったことや、最近感じる身体の不調や自分の心の中を覗くような夢を見たことから、なんだか私もなりふりかまってられずにはいられなかったのである。

 

祈祷を終えると、お坊さんに呼ばれてお札を受け取った。

名前と年齢が書いてあった。

私はそれを大事に抱えて秋めいてきた日差しの中を歩いた。