そこにあれば普通の・・・

前回ブログを書いたときから大分時間がたっていたようで、

きっとこのブログは詠み人知らずといいますか読者なんていないだろうけど、

書きたいので書きます。

 

うむ。

 

現在大学3年生となった私はアルバイトを3つ掛け持ちし、ゼミに入り、東京都23区内のあるアパートで独り暮らしをしています。

夏休みには彼氏と海外旅行に1週間行くことが決まり、そのために毎日課題やバイトに少し苦しみながら生活をしています。

 

最近は本を読むことや勉強をすることが前よりも好きになり、

夏休みはアンティスチュ・フランセのフランス語学講座に通おうかと画策中です。

 

映画をいっぱいみたり本を読んだり、たまにカラオケに行ったり、

そんなことしかできないけれど

たまに友達に会うととてもうれしくなります。

 

そういえば、どうして去年は大学に行けなくなってしまったのだろう?

 

一つには多分、落ち着ける場所というものをもっていなかったことがあると思います。

もう一つには、周りによく圧倒されていました。

 

・・・

 

今日は久しぶりに合同セミナーというようなものがあったのですが、

「フィールドワークどこに行く?」

という言葉ばかりが聞けました。

 

これなのです。

これに私はたぶん落ち込んでいたのです。

 

そのお金はどこから、

なぜそのフィールドワークに行くの、

何に問題意識を持っているの。

 

「スラム街の子供たちが~」と言い出す人に、私は我慢ができない。

ものすごく傲慢なことだと思う。

それは自分の問題を他に求めているしかないと思う。

 

「宗教ってこわい」という人もちょっとわからない。

あなたのその文化はなんの宗教からも影響を受けていないと思うんですか、とか

宗教のお話しって面白いものがいっぱいあるのに、とか。

 

そもそも日本で宗教学が嫌われたのは・・・

 

とか。

 

だから私は本を読む。

声にならない誰かの声を聴く。

映画を見る。

誰かが見たその景色を見る。

 

最近の私の唯一の広く社会的な接点は新聞です。

 

私はふつうの大学生かもしれない。

これから何ができるのかもわからない。

 

でもここにある疑問と

ここにある楽しさはきっとどこかに続いているはずなのです。

まる。

 

 

傷ついたこと

なんとか頑張って大学に行くも、

ディスカッションのクラスでグループワークに加われなかったこと。

 

一言いうとグループの子が吹き出し、(どういった文脈で笑ったのかは未だにわかっていない)、

知り合いも笑った後は私から目をそらして話していたこと。

 

まああそこでうまい返しができなかったのがよくなかったんだとは思う。

 

「移民はみんな無人島に閉じ込めてしまえばいいのよ」と言う彼女がカンボジアの孤児院の援助をしている写真をフェイスブックにあげることにちょっとびっくりして、

ああそういうものかと思い直す。

 

帰りにジュンク堂に行ってオルハン・パムクの新刊を買った。手にとって開いたそのページにまさに私が感じていたワーズワースの一文が目に留まったからである。

タイトルはその一節からとられたものらしい。

 

スティーブ・ジョブズよりワーズワースの方が偉大だと私が思う瞬間である。

 

他にアメリカ口語教本という英会話の本を買う。

 

もし私が英語もフランス語もトルコ語もできたら、世界はもっと楽しくなるのではないかしら。

 

電車の中で買ったばかりの本を読む。

久しぶりに、見たことのない景色がありありと想像できて、映画みたいに鮮明なトルコ人の男性の像が浮かびあがってくる。

 

クリニックによって薬をもらった。

半永久的に薬を飲まなければいけないこの身体と精神は時代の実験台のような気がした。

 

帰ってきて課題をやる。

いくつかの英単語を調べて書き写す。

 

大学生活やり残していることリスト

1.扇風機にむかって「あ〜〜〜」と叫んだ後、友達と一緒にお家焼肉をする。ビールとともに。With Beer!!

2.なんか資格とっておく。(履歴書の空欄を埋めたいから)。秘書検定とかフィナンシャルプランナー検定とかカッコいいやつ。

3.海外旅行。定番。東南アジアかクロアチアクロアチア行きたい。

4.有名人に会う。宇多丸さんあたりだろうか。

5.桂歌丸の落語を聴く。

6.サマーインターンをする。就職のためである。

7.金沢に行く。カニ食べたい。21世紀美術館に行きたい。ガラス美術館に行きたい。

8.とーふるかとーいっくかアイエルツを受けて目標点数をとる。目標とするスコアをいくつにするかは要検討中。

9.映画のモブになる。

10.本とか映画をいっぱい知る。

11.ボランティアとかやっちゃう。

12.司書の資格をとる。

13.小説でも書く

14.ラジオのハガキに応募する。

15.アイスクリーム屋さんかラッシュか無印でバイト

16.工場見学

17.半島を巡る。

18.演劇かジャズかダンスする。

19.山手線を歩き回るとか無駄なことをしたい。

20.吉本新喜劇を観に行く。

21.写真集とか買ってみる

 

アルバイト反省

反省ポイントをピックアップ。

 

・説明をうまくする

・会話をうまくする

(コミュニケーション能力が著しく低下しています)

・電話のかけ方、とり方

・「はい」以外の受け答えの仕方(コミュ障すぎ)

・笑顔

・声

・お名前と電話番号

 

 

........ほとんど?

 

働いてお金を貰っているという意識がまだ薄い気がする。

とりあえず1年やってみれば見えてくるさというマイペースさもあり。

 

今日はお金の計算は大丈夫だった。

 

怖がらずに、仲良くなろうと思って話してみることが大事な気がする。

 

キャラをどうしていくべきか....

 

うーん でもなんか人のために役に立つことをしようって思ったらうまくいきそうな気もするけどなぁ。

 

パンケーキとスムージー

今日はアルバイトはお休み。

 

はりきってスーパーに足をのばし、いちご、生クリーム、グリーンピース、レタスなどを買う。

今日はパンケーキの日なのである。

なんでそう決めたのかはわからない。昨日友達と自由が丘で遊ぶ予定がなくなったからかもしれない。とにかく、私は満足の行くまでこってりと甘いものを食べたかったのだ。

 

生クリームをかきまぜ、いちごとマンゴーを飾る。それはそれはもうフォトジェニック。

写真撮るのは忘れてしまったけど。

 

テレビでブルゾンちえみを見かける。

彼女のキメ顏が好き。

この人もセックス・アンド・ザ・シティとかテルマ&ルイーズとかに感銘を受けたのではなかろうかと思う。

もくもくと生クリームがかかったパンケーキを食べる。

テレビでは「結婚して後悔したこと」特集がなされていた。どっちにしろ後悔するのではないか。

 

余った生クリームといちごとマンゴーを、ジューサーに入れて、グリーンピースとレタスと氷を足してボタンを押す。

ピンクと緑のスムージーができあがる。

生クリームに砂糖をいっぱい入れていたのだからお世辞にも身体に良いとは言えない。

 

部屋に持っていって、スムージーを飲む。

 

今日は引っ越しの準備でもしようかな、と考えてでもお腹がいっぱいでベッドに倒れこむ。

 

引っ越し先のレイアウトを考えてわくわく。

 

二十歳 春。

ブラインドマッサージ

渋谷のアップリンクにて映画を見てきました。

 

アップリンクでは、映画の買い付けに関する講座〜みたいなのを開くらしく、その説明会に参加しようと思って渋谷に行ったら時間が余っていたので映画をみた、という感じです。

 

初の中国映画でどきどきしながら見ていましたが、

冒頭から血がぶしゃーで

いやもう私は「地獄でなぜ悪い」と「悪の教典」を見てからスプラッタ系には慣れていたはずなのに大丈夫なのか...と不安になりました。

 

盲人のマッサージ治療院が舞台なのですが、

この映画で見せられたのは一言で言えば「いるよねこういう人」「あるよねこういうこと」だったと思います。

 

そして「感覚ってなんだろう?」という疑問が湧きました。

 

それまで私は感覚より、論理の方が優れていると思っていました。

 

いくら「私はこう感じるんだ!」って言っても人って半信半疑ではないですか。「でもそれってあなただけの見方だよね。客観視できてないよね」みたいな。

 

文化人類学とか経営学とかやる人はそういうのをうまく処理できるのでしょうが。(偏見)

 

けれど、今 ここ で私たちが感じているのは

改札でぶつかって来た人いた。嫌な感じ。

とか

前を向こう、私は悟ったのだ

とか思っているのにまた克服せねばならない痛い課題とかがでてきたりすることであります。

 

光や音やにおいや温度や

そういうなんやかんやが合わさって

私やあなたの「今」ができていると思うのです。

 

劇中で印象に残ったのは

「盲人は光にさらされる。健常者は闇に隠れる」というセリフ。

 

私たちが感じる不器用さとかは(不器用さなんて感じない人もいるかもしれないけど)

実はそれが一つ一つさらされているものだから、なのかもしれませんね。

 

参考までに湯山玲子さんと宮台真司さんの対談を載せておきますー。

 

http://cinefil.tokyo/_ct/17037358

 

 

 

色紙

朝起きて

お風呂に入ろうと思ったら

見慣れぬ色紙が扉の前に置いてあった。

(寮なので部屋を出て廊下を歩くとお風呂があります。)

 

それは出て行く寮生のために、今住んでいる寮生が書いたもので

読むたびに「相変わらずイライラするな!」とか「この子は常にうれしいことを言ってくれる...」とか「そう思ってたの? うれしい!」

とか「こやつ...私の特徴をわかっている。しかも年下のくせに余裕ぶって書いている」とか

 

読み終えて思ったのは

「入居審査まだ結果出てないのに!! 寮を出ることが決定してるのだ!! どうしよう!」

ということです。

 

(入居審査で落ちたら)ちょっとは気に入ってるし、やっぱもう1年くらいいてもいいかなー、とか

甘えたことを考えていました。

 

でも実は背水の陣といいますかガクブルです。

 

とはいえ、やっぱりうれしかった。

ああ そうか私は2年ここに住んだのだ

としみじみ思いました。

(正確には引っ越しは3月下旬だからまだあと1ヶ月半くらいあるけど)

 

私の頭の中には、出て行った人たちや出て行く人たちのことばかりで、残る人の思い出に残らないようにしよう、ひっそり消えようと

思っていたのですが

きっと出て行く人って自分のことで忙しくて、でも残った人に何か小さな思い出を(必然的に)残していくのだろうな、と思いました。

 

バイトに行ってきます。