ポニーテール

高校生の頃、「ポニーテールの子ってかわいいよな」と思い立ち、私も挑戦してみることにした。

美容師の娘だから要領は教えてもらったけど全然できない。

まず髪を上にまとめるのが難しい。

それから後れ毛が出ないようにとかするのも難しい。

ということで、私は女子高生の特権「ポニーテール」を早々に手放してしまったのである。

そして三十代女性に多い「前髪なしミディアム」に移行した。

今日、久しぶりにポニーテールに挑戦したら長さは足りないわ、髪をまとめられないわで四苦八苦した。

 

憧れのポニーテールは憧れのまま、

そしてずっと持ち続けた不器用さだけが残る。

どこにもいてどこにもいない

幼稚園の頃だったと思う。

ジャングルジムに2コ上の二人がいて、「入っていーい?」と聞いた。

一度またジャングルジムの外に出て、

もう一度「入れてー」と訊いた。

ジャングルジムの中は神聖な場所のようだった。あれは一つの境界だったのだ。

 

「あの子、さっきもきた子じゃない?」

 

という言葉に、どきっとしたことを覚えている。この感覚はその後何度経験しても慣れない。

 

中心にいる時はまだいい。

でも急にそれた時、私はそこに壁があると感じてしまう。

そこにずっといたいのに、何かで私が隔ててしまうし、そんなことするから私も隔てられてしまうのだ。

 

私が嫌いな言葉は「自分が特別だと思っているんだろう」という言葉で、それに対して私は今は「あなたにはオリジナリティーと呼べるものがないのか」と言うことができる。

 

でもこの宙ぶらりんな寂しさはいったいどうしたらなくなるだろう。

私はどうしてそこに溶け込むことができないんだろう。

なんで「尖ってる」とか言われるんだろう。

最近そうした孤独を抱えながら生きていくことにやっと意味を見出しつつある。もしかしたら本当によくある、どーでもいいことかもしれない。っていうかその可能性の方が絶対に高い。

 

たぶん、こだわるポイントがズレているのだ。

2年くらい前の出来事

今朝、そういえば前の相部屋さんの誕生日だったことを思い出してメッセージを送った。

そこには「チーズケーキつくったの思い出すよ」とあって、

ふと、はりきってレアチーズケーキをつくろうとしたことを思い出した。

 

「欲しいもの何かある?」

「靴下」。

 

それだけの会話があとになると懐かしく感じるのだった。

 

2年生と話す。デザインを勉強していて、そのための留学を考えているんです。今日はベンチャー企業で面接です。

 

眩しいなあと思う。

いや、私はどろどろのチーズケーキをつくることも楽しかったけど、自分に何が必要か、自分になにができるかなんて考えてもいなかった。

 

でもその時鍋を囲んだ人や、笑って話していた人が今も、会えたり電話できる関係であることがうれしい。

 

きっと私は物事を寝かせるタイプなのだ。

物事ばかり寝かせているから、肝心の自分を寝かせることが難しい。

学会の裏方スタッフ

今週の土日はさる学会の大会があり、そこで受け付けや片付け等々をしてきました。

あれ…前にもこんなバイト…したことあるわ…(デジャブ)と思いながら、休憩時にしっかりと休み、寒い中案内をしたりしました。

 

(学生の今だから言える思ったこと)

・指揮系統の混乱はまじでやめてほしい。早く終わんないから。

・間違いがわかったら即報告して。

・現場での地図わかりやすくして。

・会場案内の誤植とかまじでやめて。確認する人いなかったの。

・会場をもとに戻すにあたり、どういう風にしたらいいかとか、ちゃんと考えた上で設営して。

・シフトは前日に出すな。

・できる人を指示の上に立たせろ。

・本部でしゃべっているやつなんなん。そこは一人でええねん。

・学生は動け。まじで動け。

 

……私ほんとは仕事できるんちゃう? って思いました。

嘘だけど。

なんでこの人たちの就職先が決まって私は決まらなかったんだろうと本当に不思議ですよね。卒論書こ。

フィラデルフィアの雪

初雪が降ったそうです。

フィラデルフィアで。

 

アメリカで最初の方に独立したということ、交響楽団が有名だということ以外にフィラデルフィアについて知っていることはあまりありません。

 

アメリカはもっと寒いのかなあ。

学生生活東京行動範囲

吉祥寺:デート、ジブリ美術館、友達と井の頭公園で飲む。

下北沢:下北沢B&B、教会

渋谷:ナンパ大作戦サポーター、映画館

駒場東大前:散歩

国分寺 :飲み会、お気に入りのカフェ、教会

西国分寺:クルミドコーヒー

国立:一橋図書館、ロージナ、一橋祭

武蔵境:ICU祭、劇鑑賞、本の返却、野菜バーベキュー参加

三鷹:井の頭公園からの散歩

武蔵小金井:鍋会参加、公園で花見

立川 :映画映画「セッション」観に行く。ビリヤード。

八王子 :セレオ

高円寺 :読書できる喫茶店

阿佐ヶ谷 :友達と歩く、映画館

荻窪:歩く。

新宿 :公園、エッグベネディクト、高速バス

御茶ノ水・市ヶ谷:お堀沿いに歩く

神田- 東京:乗り換え、kitte,oazo

 I 

池袋 -200円Bar,プラネタリウムジュンク堂ハンバーガー屋さん

日暮里 -トルコ料理谷根千散歩

西日暮里 -成田乗り換え

上野:花見、科博、美術館、あんみつ、タマゴサンド、動物園

大井町:就活?

- 茗荷谷護国寺:散歩

原宿:青山フラワーマーケットワタリウム美術館、パンケーキ、クレープ

- 明治神宮前:お祭り?

参宮橋:プレゼン

千駄ヶ谷:バレーボール全国大会、鳩森神社

-恵比寿:就活

目黒:HUB東京

五反田:就活

品川-田町-浜松町- 新橋- 秋葉原:就活

錦糸町:カフェ、スカイツリーを眺める

西大島:面接

清澄白河:ブルーボトルコーヒー

月島:友達と朝からもんじゃ

府中:外大図書館

玉川上水:国立音大

乃木坂:新国立美術館、森ビル

神楽坂:あんみつ、映画館、かもめBooks,赤城神社

赤坂:ホテルオークラ

神保町:岩波ホール古書店街、なぽりたん、スフレパンケーキ

本郷三丁目:講演会、先輩に会う、五月祭

鷹の台:武蔵美

永田町:国会図書館

有楽町:映画館

銀座:松屋、サロン

飯田橋:映画館、お堀散歩

二子玉川:蔦屋家電

豊島園:紫陽花祭り

西葛西:ディズニーにいくため。

奥多摩:小旅行

溜池山王:クリスマスコンサート

築地:本願寺盆踊り

東大前:宿泊・研修

中野:ごはん、古本、ロイヤルホスト

中目黒:桜、チーズケーキ

天空橋:文学フリマ

水道橋:東京ドーム、ムーミンカフェ

早稲田:アルバイト、映画館

代々木上原:東京ジャーミイ

白金台:植物

下高井戸:映画館

経堂:飲み会

日比谷:映画館

三越前:アートアクアリウム

東銀座:事務所、ぐんまちゃんの家

大森:映画館

羽田空港

 

映画館に行きまくってることが判明しました。

 

岡真理「蟹の虚ろなまなざし、あるいはフライデイの旋回」

「あなたは岡真理を読んだ方がいいよ」と何回か言われ、そうねぇとうなずきつつも、手に取ったのは大学4年生の秋になってからだった。

 

『彼女の「正しい」名前とは何か 第三世界フェミニズムの思想』、2000年、青土社

 

「蟹の虚なまなざし、あるいはフライデイの旋回」は、

共感したということの錯覚性、不確実性について映画や小説を題材に言及したエッセイだ。初出は『現代思想ジジェク特集、(1996年12月号)、青土社

 

題材は「セブン」(アメリカ、1995年、監督:デイヴィッド・フィンチャー)、ケビン・カーター「ハゲワシと少女」1993年、J・M・クッツェー「敵あるいはフォー」1992年、スラヴォイ・ジジェク「快楽と転移」1996年の4つ。

 

「共感がすべてではない」とか「時にはそれが暴力の一端を担う」という主張で、「共感」が大好きな私にとっては「なるほど」って感じでした。

(これも共感なのかしら。)

 

後半では「他者の声なき声を伝える」ことの傲慢さについても述べられていて、ぜっさん卒論のためのフィールドノートをつけている私にとってはぐさぐさくるものがありました。

やはり改めて「傲慢だなぁ」と思うと人類学より歴史学の方がいいなぁと思いますよね。歴史学について詳しいわけじゃないですけど。少なくとも誰かの書いたテキストを巡る解釈は一つの見方でしかないことがはっきりしているわけだし、議論をすることができる。それに比べて「質的調査」とか「臨床心理」とか「文化人類学」ってかなり閉じられたようにも感じます。それを編集するという行為そのものが。

 

「空気は読めない」ってよく言われるけれど自分で「共感がすき」だと思う私は、ここで言及されている「他者との同一化」の錯覚/幻想について、意外と思うと同時に興味深かったです。

 

「共感」も結局は知覚の仕方の一つでしかないということが切り離されているから、だと思います。

「共感」は時に利用可能なものであることや、テクニックとして用いることができると意識しないからこそ、共感することは純粋に「他者と自己を同一化すること」とイコールになってしまうのではないかとさえ思うのです。

 

ということで、このエッセイを読んで思ったことは疑う・あるいは可能性をできるだけ考えるということと、自分が他者に対して同一化するのではなく、どこまでが自分の領域でどこまでが他者の領分なのかを知る必要がある、ということ

 

それから「共感」はどんな種類の、どのようなものがあるのか、ということでした。