眼鏡をなくす
旅行で沖縄に来ている。八重山の方にも行って、フェリーで帰って来て、そこから本島に戻ってホテルに泊まったら、眼鏡がみつからなくなった。すごく不安なのだが、「心の内側でものをみる」チャンスなんだと捉えることにする。あるいは一時的な喪失なんだと思うことにする。
行こうかどうか迷っていた島には、行くのをやめた。県立図書館・県立博物館・美術館は全て今日はおやすみということで、「やっぱり島が島に来てほしいと思っているのかな」とか思ったのだが、行かないことにした。「勉強の成果」を先生に伝える必要があったからだ。
先生が自分の子どもに、その子どもにとって「存在自体がプレッシャーなんだよ」と言われたことについて、そんなことを言われた先生の衝撃ってどんなのなんだろう、と思った。まあ、同期の中でも「先生の子どもの嫁になるの、大変だよね」みたいなことを言う人はいた。その時もちょっと驚いたのだが、(「はいっ」と返事してよくやろうと努めれば大丈夫そうと思っている)、そういう人もいるんだな、という風だった。
なくしたと思った眼鏡はかばんの中にあり、それは物事が正しい軌道に乗った証拠なのだということだった。
私は島に行かず、電車とバスを乗り継いである場所に向かっているのだが、その方が正しいのかもしれなかった。
函館行きの車窓から
ゴールデンウィーク後半は一緒に過ごそうね、ということでパートナーと函館で待ち合わせをする。
今日持ってきた本は、ティム・インゴルドのエッセイ集『応答、しつづけよ。』
車窓から内浦湾を見ることができる。
こんなに海の近くを電車が走っているんですよ!
停車した。
パートナーが「美学を学びたい」と言い始めたので、「アートとは...」って考えたり、インゴルドのエッセイを読んで「自然とアートの共生とは...」みたいなことを考えたりしている。
アートとはつまり、日々の積み重ねだとは思うのだけれど、自然から生まれる美と、何かしらの技巧によって生み出される美とは何が違うんだろう? と思った。
美といえば、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』なども読んだことを思い出した。二重身や同性愛のテクストとしても読まれるけど、あれは美と魂について書いた作品でもある。
ワイルドの一節をパートナーに紹介したら、「こういうことに興味がある」と言っていた。
インゴルドの文章を読んでいると、大好きなオラファー・エリアソンのことも思い出した。
世界的にこういう動き(自然とアートの融合、人類学と生物学の融合)が進んでいる、ということなのだろうか。
そうだと思う。ダナ・ハラウェイが受け入れられていることをみても。
そろそろ函館に着きそう。
バナナ・ジュース
今日はお休みの最終日だった。
北海道に来て博物館に行ったり、本を読んだり、ウイスキーを飲んでボードゲームに興じたりと散々遊び回っていたのだが、それにしても休日というのには終わりが来るのだった。
警視庁を名乗る人間から電話を受けた。普通の日常を送っていれば警視庁からの電話なんて受けることはない。だからその電話の受け答えをして私はややナーバスになった。
よくミステリー小説やサスペンスドラマの受け答えで、「ご存知なかったですか」と訊かれる。それに対して私は「こういうことだと思っていましたけど」と答える。相手は「こういうことになっていたんです」と言う。自然な会話である。
そんな会話をして、後になってコーヒーを飲んでいる時に振り返り、「確認の電話というのはこんな風にするものなんだな」などと思った。そんなことを思いながら、私はそのカフェのボードに書いてあるメニューを眺めた。プリン、アフォガード、イチジクの赤ワイン煮バニラアイス添え、などなど。それらは別に値段順にもなっていなかったが、何かの順番にしないことには意味が込められているのだろうか? と疑問に思った。それとも私が読み取れていないだけでこのメニューの羅列には意味があるのだろうか? ーーとも思った。
それから私は今までに寝たことのある男のことを考えた。
ある人物は善というものを持ち合わせていて、ある人物には常識があった。ある人物にはユーモアがあって、別の人間の愛し方は精巧なロボットのようだった。
幾人かの人のことが思い浮んだが、そのうち誰が誰だかわからなくなった。
今朝、私は夢を見ていた。
知っている編集者が台湾に取材に行こうという夢だった。台湾中部の田舎に私の知るべきことがあって、それは「私の経験にもなるのではないか」、「決められるのなら早いうちに決断してほしい」ということだった。
行きたい、と思ったけれども、その編集者が男性だったことでためらいがあった。ということで、うわごとのように先に目覚めたパートナーに向かって「台湾に旅行に行ってもいいの?」と話しかけていたようである。
奇妙な一日だ、と目の前にあるバナナ・ジュースを飲みながら思った。
それにしても私はなぜバナナ・ジュースなんか頼んでいたのだろうか?
花と砂時計
永遠がないとわかっておりながら
しかしその美しさ、純白さはただただ愛しく
それに支えられて生きることができるのだった
新しい自分になりたいなら北へ
引っ越しの準備をしながら合間に『呪術廻戦』のあらすじを眺めていた。
その中に
「新しい自分になりたいなら北へ 昔の自分に戻りたいなら南へ行きなさい」
という言葉があった。
なんの啓示?
北海道に旅行に行く人が最近多い、ということは書いたけど、移住は沖縄が多かった。
ほら、前の病院の先生も沖縄に行っちゃったし。
インドネシア音楽を聴いて「インドネシアに行きたい〜」とかも思ったりした。
しかし私は北へ行くのだ。
引っ越しの日は雨が降った。
雨の中物を運んでもらい、退去の時間まで床を拭いた。
退去費用が結構かかって落ち込んだ。
引っ越しをしようとしてみると寂しいものがある、というか自分の一部がなくなってしまったように感じた。
上京した時も、寮を離れた時も、一人暮らしの家を去った時も、山梨に行った時も、また一人暮らしに戻って東京に行った時も、この寂しさを感じた。
ホテルの近くのコンビニでカップラーメンを買って泣きながら「美味しい」と言って食べた。
翌日、なぜか持っていたロクシタンのシャンプーとリンスで髪を洗い、入浴した。
朝食にはホテルが用意してくれた小さなパンを食べた。
ホテルを出て駅に向かった。
3月のことを思い出していた。
同じような場所に来ているのだが、まさか自分が北海道に行くとはーーこの時はつゆほども思っていなかったのではないか。
白くて高いマンションが青空に映えていて、「いつかこういうところに住んでみたい」と思った。
羽田行きの電車に揺られて、空港に着き、先に荷物を預けてから搭乗手続きをした。
チェックインはオンラインで済ませていたが、そういえば搭乗券を発行していなかった。
普段格安航空しか使っていないからである。
ラウンジにたどり着くと、窓から飛び立つ飛行機が見えた。
東京湾も見えた。
羽田空港を発つ時、「さよなら 東京」と心の中で呟いた。
朝食に鴨南蛮を食べる。
鴨肉(合鴨)...315円
葱...178円
深大寺蕎麦...400円
鴨だしつゆ...210円
鴨南蛮を食べて、残っていた日本酒「夜明け前」を飲んでまた眠った。
起きると午前11時半だった。
そのままだらだらと求人票を眺めたり、メールのチェックをした。
冷蔵庫にあった、友人からもらった紅玉(林檎)をしゃくしゃく音を立てて食べた。
引っ越しの準備と転職活動をしなければならず、合間を見て友人に挨拶に行っていたから、ここのところ忙しかった。
こういう時はあえて暇をつくらねばしんどくなってしまうものだ、などと思って休む時間をつくろうと考えた。
近所のインド料理屋でマンゴーラッシーを飲み、簡単な食事をとった。
役所に向かうまでに小学生の運動会の練習などを外から眺めた。
先生のアナウンスがいかにもやる気がなさそうで面白かったが、その人もまた運動会の練習をやりたくてやってるわけでもないだろうと思った。
昨日行った友人宅で好きなことを話してご飯を食べ、ワインを飲んで楽しかったことなどを思い出した。
みんなに見守られているという気がした。
役所に来ると、住民票を移すのに10人も待っていることがわかった。
帰ったら飛行機のチケットの振り込みをしようと思った。
それにしても眠いと思った。
秋だからか、引っ越し及び退職に伴う身体の変化なのかわからなかった。
仕事をしている時は一日が長く感じられたけど、辞めてからは短く感じられた。
役所からの帰り道、私はなぜ北海道になぞ行こうとしているんだろうと思った。
9月に旅行に行った旭川の、あの暗い夜に浮かんだ三日月のことを思い出した。
また泊まったホテルのことを思い出した。
帰宅して、棚の書類を引っ張り出したりした。
段ボールを組み立て、封をし、荷造りをする。
いらない書類と使えそうな書類に分けた。
小一時間くらい経った後、洗顔をして化粧をした。
洗面台をふと見やると、男性用のカミソリが置いてあって恋人を少し恨んだ。
別にカミソリなぞ置かなくていい気がしたのである。
こういうところがよくわからない、と思った。
(マーキング行動なのか?)
コンビニに行って飛行機のチケット代を払った。
ホテルの予約も航空チケットの支払いも済ませた。あとは郵便物の転居届を出すのみである。
先輩と同期と同期の同僚が来てくれる飲み会に向かった。
日本酒をいっぱい飲んで楽しかった。
同期の同僚という人がいっぱい話をさせてくれてめちゃくちゃ気持ちよく酔えた。
勝利の美酒とはこのことか...?
「朝に実は飲んでた」
と言ったら全員から
「朝!?」
という反応が返ってきた。
同期と先輩が良い雰囲気なのでいいなと思った。
人を好きになるのは、と思った。
人を好きになるのはやはり運命づけられているのではないか。
信頼関係が、とかそんなことよりも、その人との関係が先にあって、それはどう変えられないようもないのではないか。
方位災難除けをしてきた。
住んでいるところの近くにお寺がある。
神社仏閣巡り(さらにモスクや教会を含む)が好きなので、気が向いた時に行っていた。
前におみくじを引いた時にお寺の本坊で何やら火を焚いているな、などと思い、それは祈祷なのだということを後で知った。
いいなー、と思ったまま時は過ぎ、退職を決め、引っ越しのスケジュールなどを組んでいる時に、ふと「ご挨拶しなくちゃな!?」と思った。
この地に引っ越してきて見守っていただいたのである。
ちゃんとお詣りをしなければならない。
と、イスラームはじめ宗教文化好きの私は思ったのだった。
調べてみると、祈祷には時間が決まっているらしい。ふむふむ。
そして何を祈るか(あるいはお祓いするか)も選べるらしい。
学問成就、家内円満、交通安全などなど。
厄除けもあったのだけど、せっかくだし私は方位災難除けというものをすることにした。
引っ越すし、引越しには向かない運気とかだったら嫌だし。
ということで、今日は朝5時には起きて、身なりを整え、退職にあたり必要なものや情報などをノートに書き留め、洗い物をしていた。
大体目安の時間になると、外出の準備を始めて向かった。
事務所の受付にある紙に名前などを書き、微々たる額だけれどもお納めした。
その後は誰もいない本坊でぼーっとしていた。
そのうちに、作務衣を着た男性が来て、もっと近くにいていいですよ、と言った。
お寺は立派なもので、この間行った清涼寺にも負けないくらいでは、と思った。
(京都の清涼寺を気に入っているのである。)
そのうちに緑の法衣を着たお坊さんが来て、このお寺にいらっしゃるのははじめてですか、とかこの器には清らかな水が入っており、などと説明をしてくださった。
そうしてしばらくすると鐘が鳴り、緑の法衣を着たお坊さんと赤い法衣を着たお坊さんが列をなして本尊のいくらか手前に来て、お辞儀を始めた。
私は仏教というものをよく知らないのだが、祈祷をしていただく(正確には護摩を焚いていただく)のははじめてで、お坊さんのお経を聞いてなんとなく自分も祈りはじめた。
『さらば冬のかもめ』に日本の宗教がシニカルというかコミカルに描写されたシーンがあり、確かに読経に耳を澄まして手を合わせるというのは不思議な気がしたけれど(モスクで礼拝をするところを眺めていたのでそちらの方にいつのまにか親しみを感じてしまっていた)、祈るということはこんなにも必死になる行為なのだ、ということを思い出した。
気がつくと、火がゆらめき、読経の声は芭蕉の句のようにも聞こえてきて、一生懸命に祈っていた。
祈る、という聖なる感じよりは、どちらかというと「もうほんとうにお願いします!」というような結構に甘えた態度だったと思う。
退職することや、急遽、北海道に引っ越すことになったことや、最近感じる身体の不調や自分の心の中を覗くような夢を見たことから、なんだか私もなりふりかまってられずにはいられなかったのである。
祈祷を終えると、お坊さんに呼ばれてお札を受け取った。
名前と年齢が書いてあった。
私はそれを大事に抱えて秋めいてきた日差しの中を歩いた。