ゴリオ爺さん
光文社の新訳古典で読みました。
「私は親の見栄のために生きているんじゃないか」と考えていた時のバルザックの拳はよく効きました。
これを読んだために私は勢いで「ポケ森」をアンインストールしました。
・あらすじ
田舎から上京してきた学生・ラスティニャックは安い下宿に住んでいる。そこにいる愉快な住人たちとラスティニャックがパリの上流社会に成り上がらんと決意するまでのお話。
・登場人物
ラスティニャック:学生
ヴォケール夫人:下宿先のオーナー
ヴォートラン:悪役
ゴリオ爺さん:良心
伯爵夫人:ゴリオ爺さんの娘。二人姉妹の姉。
男爵夫人:ゴリオ爺さんの娘。二人姉妹の妹。
ボーセアン夫人:ラスティニャックの従姉妹。上流社会の花形の一人。
ビアンション:ラスティニャックの友だち。学生。下宿先に食事だけとりにくる。
あとはその他諸々です。
パッと見、ヴォートランが悪魔でゴリオ爺さんが天使のように見えるのですが、
(ゴリオ爺さんは父性キリストの塊と言われている)、
この二人は対照的な人物です。
私はどちらかといえばヴォートランが好きですが、どちらも同じと言えば同じかもしれません。
ゴリオ爺さんは娘を亡くなった妻と見立てて蝶よ花よと可愛がるのですが、娘の一人が「期待通りに振舞わないといけないから疲れるの」と言ったように、その愛は崇高にして大きく履き違えたものです。
娘は二人とも愛するということはお金を与えるということだと思っているのか、結婚はしたもののパリ上流社会の必須事項、「恋愛をする」においてはダメ男を捕まえてばかりです。
二人とも「こんな状態にした父はどうでもいい人」と思っているし、故郷でぬくぬくと家族の愛に育てられてきたラスティニャックは衝撃を受けます。
ラスティニャックも家族の期待をかけられてパリの学生になったのですが、うーん、やっぱり「誰かのかわりではない、自分」というただ一人を愛さなければ、どこかで歪みが生じてしまうのでしょうか。そういうことを徹底的に排したヴォートランも、自己犠牲をしたゴリオ爺さんもストイックだなあと思います。
でも結局のところ誰かを身代わりにして満足しているという点でこの悪党も良心も「嫌なやつ」ですね。
作中で最も人間らしい、ずる賢さも親切さも含んでいるような人物がヴォケール夫人です。彼女が出てくると基本的に笑ってしまいます。
古典だからと言って身構えてしまうのですが、バルザックもモーパッサンも結構読んでいて笑ってしまうところや、もやもやするところがあって好きです。
フランス文学もうちょっと読みたいな。
(11月末)