境界

リサーチペーパーを書け、と言われて泣きそうな気分です。はちみつです。

 

今日は社会主義思想についてざっとやる授業と、英語と英語と英語教育の授業でした。

 

リサーチペーパーとはよくわからないけど論文を書くための雛型のようなものです。

他の子が興味のあることや卒論テーマが決まっていくのに対し、「今の時期は専門とか絞らんでええよ」という先生の言葉を間に受け、小説を読んだり死生観について考えてみたりしています。

だから、テーマが決まっている子を見ると本当に眩しい。

 

テストがはじまるのでそろそろいろいろ準備しなくてはならず、再再履のフラ語を使える場所に行ってはどうかとか、

私はフィールドワーク的なことが合っているんだろうか、とかそんなことを考えています。

 

どうなる、卒業論文....!

 

「本とかいっぱい読んでるしさー」と言われると辛いです。全然読めていないなぁとか、どうすればもっと自分の知りたいことがそもそも「知りたい」と認識できるのかとか、「意識」って面白いなー

とかそんなことしか考えられていません。

 

とりあえず今日はフランス語とリーディングを勉強しつつ読書をしています。

 

最近、自分が歴史とか文化に興味があることがわかり、「あー文系なんだー」と思ったのですがそのうち理転もしたいです。

 

明日もインターンですが、(めんどうだ...)と思うほどに私の就活への興味がだだ下がりしています。

 

あ、そうそうタイトルにした「境界」ですが、境界というものにすごく惹かれます。たぶんそれは90年代生まれのよくあるサブカル志向なのですが。

 

たとえばなんでイスラームは「イスラーム」と一括りにされるのかとか、なぜ何かを分類していくということが大事なのかとか、ガラスに光を通すとどうなるのか、そういうことに共通していることなんじゃないかと思います。直感的に。

 

でも学問の世界では、それがなぜ「そう」なのか、言葉にして定義づけしていくことが大事です。合理的なサポート・センテンスがなければ、それは「論じられている」とは言えません。

 

リサーチペーパーなんか書けないよ、

という私の困惑が誰かに伝わるといいなと思います。

 

あー、ココアでも飲みながら「ソフィーの世界」とか読み直したい。