進路相談をしまくる
あけましておめでとうございます。(二回目)。
前に書いたブログを読み返し、「正月脳でふわふわしたこと書いてる」と嘆息しました、はちみつです。
将来についてどうしようか、うむうむと悩みながら人に話を聞きまくり、絶望し、楽観的な希望を持ち、絶望しを繰り返しています。
これはこうなんだー!! と決めたことが、簡単にいかないって確かに大変だ…。
では、私は今まで何かを選択してきた時、どうしてきたのだろう? と考えました。就職活動とかでよくあるやつです。
①自分の未来図(到達レベル)と現状を把握する。
私は文字も読めない、計算も頭に入らない、好きなことや情熱が抜け落ちてしまう…という双極性障害の状態を15歳の時点ですでに経験していたのですが、、、
この時、「推薦受験は無理。調子整わないから無理」。
と考え、「一般受験である程度今の状態から、お金を出してもらえるレベルの大学に行かなければ」となったのでした。
親から出されていた条件は、「この大学より下の偏差値のところにはお金を出さない」というものでした。結果的に功を奏したかもしれませんが、「大学に受からないと身体を売って生活するしかない」と思っていたので憂鬱でした。(家からも追い出されることになっていた)。さらに、関西には行くな、東北には行くな、という謎の無茶ぶりが連続し、志望校が必然と絞られてくるのでした。選択肢が少ない。
ということで、文字(日本語)も読めないレベルからある程度の大学合格というめちゃくちゃ高いハードルを掲げたのですが、結局どうにかなりました。
もちろん、自分が本当に行きたいと思っていた大学とはちょっと違ったけど、今の大学だからこそ学べていることもあるので、問題ないです。
そしてその大学は高校の方針と思いっきりずれていたところなので、まあしょうがないかなという感じです。
②私は死ぬということを受け入れなければならない。
別に「双極性障害だから~」と言い訳するつもりはないのですが、それでも私のストレス閾値はとてもとても低いのです。感覚過敏だし、薬を飲まないと死にかけます。
だから就職活動の前段階のアルバイトでとても苦労しましたし、元来の性格である「良くも悪くも自分の世界を持っている」ことにも苦労しました。
私は自分のことを普通と思っているから、「お前は普通じゃない」と言ってくる人たちの対処に結構苦労するのです。
いずれにしろ、自殺未遂経験のある、双極性障害1型の私は、診断を受けて以来「自分の脳に自分が死ぬことをプログラミングされているみたいだな」と思うようになりました。みんな、死んじゃだめだ、命を大切にしなくちゃだめだ、というようなことを言ったり、生きていくことを考えよう、と言ってくれたりするのですが、生きていくためには自分が「自殺をする確率が高い」人であることを自覚する必要があります。
生涯発症率は0.8%、日本における疫学研究では0.06%ではあるけれど、再発エピソードが増えるたびに自殺リスクも高まります。(諸説あり)
再発リスクは離婚、大切な人・ペットの死・引っ越しなどさまざまなライフイベントが原因になります。
でも、親の死とか環境の変化って避けられないことですよね。
だから再発リスクの予防には定期的なカウンセリング、服薬が必要になります。
その他、孤立状態を防ぐということも大切だと言われています。
(だから宗教共同体に定期的に通う人ってあんまり悪化しないだろうな・・・)
という諸々の事情を踏まえて、私は「自殺をするリスクが一般的な人たちよりも高い」ことを意識しておく必要があります。その予防に意味がないとは言わないけれど、そのリスクを考慮した時に、やっぱり「自分が死ぬリスクが高い」ことを受け入れないとだめだなあと思いました。
③でも私には知りたいことがある。
そう、私には知りたいことがあるのです。人の役にあまり立てそうにない私が、自分の潜在能力を精一杯使って、何かの役に立てばいいと思うことがあるのです。だから私は、無力感をいつも感じているし、「誰かの役に立ちたい」なんてエゴで、「自分をすくいたいから」かもしれないけど、自分が救われるためにも人の役に立つためにも、目指す方向に向かってできる限りの努力をしたい。
そうしたら、私が死ぬ時、私は、私の生も死も主体的に引き受けることができると思う。