引き出される私
教育ということについて、あるいは恋ということについて考えてみる。
ピアノが大好きだったけど、あれは先生が私の良さを引き出してくれていたんだよな?
とか
高校の時のカウンセリングの先生のことを思い出したりするけど、あれで過去の解釈と現在の生き直しということに面白さを見出したんだよな、とか
大学の先生の授業、すっごい面白かった…! (特に法や社会制度が集団に及ぼす影響について、またその相互作用について)とか
最初の職場の退職県庁職員の上司がイケメンだったな…(まさに法と行政の経験によって集団に影響を及ぼす実践のお人であった)とか。
そう、私はいつも生徒であり続けた。
誰かや何かに影響されることが大きいのであって、私が影響を及ぼせるものは
せいぜいが短編小説くらいだった。
自分が自分を引き出した時ってどういう時だったろう?
と考えてみる。
つまり、私が主体的に私に働きかけた時だ。
勇気を持った時だ。
……。
それは高校の時の積極的な分離だったし、
そして大学と進学したい学科を決めたことだった。
(そういえば私のいた高校からその大学に積極的に進学するような人っていなかった。そういえば。あの詰込み型銀行型教育の鉄板とも呼べるようなあの高校において)。
クロアチアとトルコ旅行も今考えればよくいこうと思ったものである。
あるいは京都旅行。(なんとなく京都が好きだ)。
そして人との別れ。
あるいは石神井での引っ越しをしたこと。
ある人は自分の人生に主体的な決断なんてほとんどない、運と縁による、と言う。
広くみれば運と縁であり、環境によってほとんど決まっていくと確かに思う。
元上司のおじいさまは「本当は文学部に行きたかったけど、行くなと言われていたので法学部に行った」「別に東京に行っても良かった」
と言ったりしていた。
けれど私はその選択が別に間違っていると思わないし、彼は間違わないように選択をしてきたように思える。
何を選んでも、選ばなくても、それが私という人間をつくっていくのだ。
そして主体的であるということについて。
しかし主体的であることには、――少なくとも主体的であろうとすることには、意味があるように思う。
基本的に私は自分自身が引き出されることが大好きな、
もうピグマリオンというか、
誰かが私の彫像をつくってくれたらいいな、と
そう思いがちな人間なのであるけれど、
同時に、誰かが私を「思うように」導こうとすることには徹底的に反抗するような節がある。
優柔不断そうなくせに妙なところで頑固だ。
その最後に残った頑固な部分が、私の主体性なのだと思われる。
そんなことを考えていた矢先に、カミュの言葉が目に飛び込む。
僕の後ろを歩かないでくれ。僕は導かないかもしれない。僕の前を歩かないでくれ。僕はついていかないかもしれない。ただ僕と一緒に歩いて、友達でいてほしい。
私は引き出されることが好きだと思っているけれども、
それでも最終的にはその人たちが隣にいてくれたことがいつも嬉しかった。
時に目の前にその人がいても、どうしてそんなことをしてくれるのかわからなくて、相手を悲しませたりもしたのだけれど。
そして私は私こそが一番の私の友達なのだということを知る。
14歳から15歳にかけて、私はよく月を眺めていた。
いつか私は私を友達として迎えてくれる人たちと過ごそうと思って、冬の月を眺めていた。
その時の私は、「私」がそこにいて、大丈夫だよ、きっと見つかるよ
と隣で囁いてくれていたことには気づかなかったのかもしれない。
〇
時々私は、私の中身が空っぽなのではないかという気がしていた。
私は誰かに投影されているのみで、
たとえば源氏物語の主人公みたいに、付き合う人によって私の中身が変わっていっているんじゃないかと。
実際に「あなたの言葉というのはどこにも見えない。いつも人の言葉を借りている」
と言われることもある。
確かに、こうして書いている時も人の思い出、人の言葉を借りるばかりでなかなか自分の胸の内を明かそうとしていない。
さらには「変わっている」と言われることもある。
私は自分を「変わっているという風に見られたいと」思ったことはないにも関わらず。
むしろ自分のことを普通だと思って生きているにも関わらず。
(だからか、「普通の人」という言葉が苦手だ)。
けれど、そういう時には私の隣にいてくれた人のことや、
私の隣にいてくれる私のことを思い出すことにする。
主体的であるということは、前にいくことでも後ろをついていくことでもなく、
ただその隣にいるという一体感とそれを通した一つの創造的な―すなわち、一つの習慣を越えるような―営みのことを主体的というのかもしれない。