A Rolling Stones gathers no Moss.

尊敬するボスへ。

 

もう気がついていると思いますが、

私は自分の人生をうまく選べなくて困っています。

 

あれもこれも楽しいし興味深いのに、なんにも成し遂げることができないのは嫌気がさしますが、でも辛くてもなんでも笑顔でいられる自分が好きです。

 

だって辛いなぁ、なんて思ったところで何の助けにもならないから。

 

私が就職なんていいや、と思ったのは、

鶴巻公園(早稲田の近く)で一本の電話をかけた時でした。

 

「じゃあ死ね。今すぐ死ね」

という言葉を聞いた時、辛いと同時に、これでもう誰のためにも頑張らないですむ、と思いました。

 

まあショックはショックなので、アルバイトに行ってメロンを食べたあと、中野のあたりまでうろうろと歩き、へとへとになって帰ってきたことを覚えています。

 

14歳とか15歳のころ、冬の月をよく眺めていました。深海のなかの真珠のような美しさに手を伸ばして、冷えていく自分の身体をずっと自分で抱きしめていました。

 

要するに私は、自分のことを大切にできないのです。

これ以上傷つくのは嫌だし、人を傷つけることも多かったけど、今のところ幸せだし、楽しかったことも辛かったこともある程度経験しちゃったから、もう何でもいいやと思うことがよくあるのです。

 

そして状況は15歳の時より遥かによくなっています。友達もいるし、寝る前には薬を飲むことができるから。

 

日本人って誰のことか。どうして「日本」は弱くなったのか。

サワディカー

 

いよっす

私は社会人半人前の23歳女子はちみつ。

最近「卒業旅行」と称して(実際そうなのだ)、バングラディシュの首都ダッカとタイ、バンコクをうろついていた。

 

バングラディシュは資本主義の負と正を煮詰めたような街だが、世界は道端で売られてるチャーほど甘くはない。

 

ダッカでは物乞いから英語のできるエリート大学生、ビジネスマンと様々な人に出会ってきた。

ある人は言う。

「本当にバングラディシュを知りたいと思ったら農村がいいよ。ダッカはつくられた街だ」。

 

その言葉を受けて、私はあたりを見回す。

照りつける日差しの中、カンカンと音を立てて木材を建築する男たち。

 

日本だって、ここにいる人たちみたいに成功を信じて建物の釘を打つことから始めていたはず。

なのにどうしてこの街の人もいわゆる日本人も何かに満たされないような焦りみせるのだろう?

(少なくとも私には両者ともに余裕がないように見えている)。

 

そして帰路、バンコク

ウォーターメロンミルクとココナッツケーキを食べながら、私は日本風温泉「湯の森」で「日本ってなんだっけ?」と改めて考え続けていた。

 

「湯の森温泉」は「日本以上に日本的」なスパである。

温泉には暖簾がかけてあり、そこまでの道では風車(かざぐるま)がからからと廻っている。

利用者はお金を払ったあと、数字のついたリストバンドをつけて入場となる。

男女別れたあと、バスタオルと「あるもの」を受け取って案内の通りに進む。

靴を脱いで草履に履き替え、(館内履きのような扱いだ)、さらにそれも脱いで脱衣所へ。

 

リストバンドを脱衣所前の棚に近づけるとかちっと中から扉が開く。扉を閉めると外からまたリストバンドを近づけないかぎり開くことはない。

 

私はタオルを持って胸の前にそれを下げ、温泉に入ろうとする。

 

からからと小気味よくドアを開けたあと、

バスタオルの中に挟まっていた「あるもの」が温泉用のブラジャーとパンツなのだとわかって目を見開く。

 

衝撃。

 

あっ 海外ではニップルを隠すって昔教科書とかで読んだ気がする。

(だから温泉ってありえん! って思われちゃうんだっけ、とか)。

 

え、でもさでもさ。

 

黒い布でおっぱい隠す方が俄然エロくない?

わざわざ隠すってエロくない?

 

日本で銭湯に行けば老いも若きも裸体を晒すのだ。

 

いやまあ確かに私は人の裸も見るし、ついでに自分の裸もみて「いや 若いわー 肌が水滴を弾いてるわー」とか思っちゃうんだけど、

え、でも隠すて!

 

そういう工夫があったのか!

(ここではいわゆる温泉慣れしていない人たちに温泉を普及するためにこういう工夫があったのか、ということです。)

 

とはいえ違いと言えばそれくらいで、

あとは日本でもお馴染みの、

一人でぼーっと湯につかる人、

健康なのか何なのかゆっくり温泉の中を移動する人、

横になってバスジェットの泡を腰や足にあてている人、

露天風呂と樽風呂の間にありがちな謎の椅子に座ってタオルをかけて寝てる人など

 

それぞれがそれぞれのやり方でくつろいでいた。

 

私はそんな中で同じようにお湯につかり、湯冷めがてら椅子に座ってうとうとしたりして

「なんか日本って取り残されちゃってるよな」

と漠然と思ったのだった。

 

バンコクの高いビルも高級なショッピングモールも、全てが豪華で先進的なものに見えた。

加えてタイ式マッサージと手を合わせてにこってしてくれる「お・も・て・な・し」、日本の「カルチャー」を取り入れて繁盛して、(仮にも温泉大国群馬県出身の)私がファンになってしまうくらいのクオリティを提供する環境。

 

東京オリンピックが終わっちゃったらどうなるんだろう、と本気で思わずにはいられない。

 

と、思った時、

ダッカで感じた焦りもタイで感じるその国の勢いも、

それらは全部、いわゆる「私たち」が見ないふりをして捨ててきたものなんじゃないかというところに行き着いた。

 

余裕なんてないのに余裕のあるフリをして、

浮かれて騒いで今までの泥臭さみたいなのを全て覆い隠して、

本当に自分たちが大切にしていたこと(たとえば温泉で裸体を晒していてもなんにも気にしないでいられてたオープンさ、とか)をどこかに置いてきてしまったのではないか。

 

 

 

そう思ったら上司(63歳)がポツリと呟いた、

「どうしてここまで日本が弱くなってしまったのか」

 

という答えの一つが見つかったような気がした。

 

「私たち」は、何かに向かって進んでいるようで、とっても大事にしていたことを忘れてしまったのではないでしょうか。

 

こう...たとえば 人の肌のぬくもり、とか。

 

 

 

 

 

怒りとかなしみ

アクタージュ というマンガで

「怒りとかなしみって同じだったりするじゃん」

 

と言っていて

 

確かに今の私の気持ちは怒りのような、かなしみのような気がしている。

 

人と比べられたりするのが嫌だ。

あいつ変わってるよなって言われたくない。

周りに迷惑はあんまりかけたくない。

束縛しないでほしい。

私だって自由に生きたい。

面倒くさいやつだからすぐに相手を傷つけてしまう。

いつまでもネガティヴでいたいわけじゃない。

私より....っていう劣等感に苛まれたくない。

傷つけたくない。(できれば)。

明るく生きたい。

突き抜けたいけど突き抜けられない。

苦しい。

あたりまえだと笑いたい。

 

でもこれが私。

「ここがお前の住んでいた街か」

 

「そうだよ。遊園地もあるしショッピングモールもあるよ。」

 

そういって私は友人を案内した。

 

晴れている日はどこまでも突き抜けたように晴れていて、梅雨と台風以外ではあまり雨の降らない地域だ。

その日ももちろん晴れていた。

 

案内をしている時に幼馴染のYがいた。

Yと会うたび、上手く話ができなかった。

 

Yは友人Sに質問をした。初対面ならありえない内容だ。YとSが話し込んでいたので、私とKはだらだら話をしていた。

 

Yは私にとってある意味特別な人だ。

仲良くはなれなかったけれども。

 

SとKと友達になれたことは、宝物のような気さえするのだ。

何をしている時が楽しい?

と、友人からの質問があったのでメモする。

 

本を読んでいる時。

泳いでいる時。

知らないところに一人で出かけるとき。

 

文章を書くとき。

映画を観るとき。

 

見やすい文章や広告を描いたとき。

 

それに対してきちんと結果が出た時。

 

一人で何か調べ物をしている時。

 

移動している時。

 

大体が、一人でいるときなのだ。

 

 

車の免許をとって1000km走った話。

自動車免許を取ったのは大学4年生の春休みだった。

 

本来、卒業旅行シーズンの時に私は東北の自動車合宿で免許をとったのだ。

友達がエジプトとかオーストラリアとかに行っている間に、である。

 

運転免許を取っていなかったのには、ただただ自信の無さと車を運転する必要のなさにあった。

私は必要に迫らないと取り組まないだらけた性格の人間なのである。

 

とりあえず、地方に行くし車の免許は絶対必要、ということで取りにいった。

 

最初から他の人たちと足並みは違っていて、(つまり教官に不器用だとか言われた)

そしてなんとなく一緒に入校した子たちと差がつきはじめており…後から入校した人が先に卒業していく、という事態なのであった。

 

うん、なんとなくそうなる予感はあったんだけどね。

 

自転車だって補助輪が外れたのはなんと小学4年生の時だったし、その時も泣いてお父さんと一緒に特訓をしたのだった。交通安全指導員をしている父が学校に来て、交通安全教室をしている時、補助輪をつけたままでその授業を受けていたのは1学年120人の中、4人だけだった。

 

そしてその5か月後、私は一人で高速道路を1000km運転した。

 

え? 前記事にもあった? しつこい?

 

それでもそれだけ私にとってはとっても大きいことだったのだ。

隣に友人がいてくれたとはいえ、知らん道を時速100km以上で運転するのはちょっと恐い。トンネルは狭いし、対面になった時はひいって感じだし、ちょっとそんなに詰めないでよ、と思ったり、した。

 

新潟の黒崎PAから荒川胎内ICまでの間は、海沿いを走っているような感覚があった。

ICを降りた後は濃い霧の中の国道を走る。くねくねしている。緑が濃い。

 

でもそこには歩くだけでは見れない景色があった。

今まで 趣味:おさんぽ

でいいと思っていた私だけど、

やっぱり車でしか見れない景色もあるんじゃん、と思えた。

 

国道113号を好きになった。

高速はまだ関越の方が走りやすい。

 

「私さ、アメリカ大陸を横断するのが夢だったんだよね。そういえば」

というと、隣にいた友人は

「あなただったらできるよ」

という。

 

映画、プリシラ(鑑賞済み)とかテルマ&ルイーズ(未鑑賞)の世界に憧れて、

私はその前の小さな夢を叶えた。

 

花火だって、そんなにぽんぽんみられるものではないし

温泉だって、そんなに何度も行けるところではない。

 

やろうと思ったら何度だってできるのかもしれないけれど

人生は短い。

 

嬉しかった。

小国町の道の駅で伸びをして、息を吸った時、

補助輪つきの10歳の私を、ちょっと小突けるような気がした。

 

知らん景色を見てみようよ!

 

と。

長岡花火とスイカ

【1.一人で高速】

 

8月1日の夜、一人で高速の運転をした。

中央道を抜けて、圏央道へ・・・と入るはずが、間違えて府中の方まで行ってしまい、

どうしようもないので府中で降りて関越道に入った。

 

この2月まで住んでいた家の近くを通って、なつかしさがこみ上げるとともに、その町がまだ大好きなんだということに気が付いた。

 

通り過ぎた関越道は広い。フラットで、私の車はするする走ってくれる。

 

【2.浴衣で長岡】

 

友人と落ち合い、8月2日の昼には長岡に着いていた。雪がすごい、と聞いていたからどんなものだろうと思っていたら普通に夏だった。

浴衣を着た女の子たちをながめながら、名物のへぎそばを食べ、かき氷を食べ、開放されているスーパーで花火をみた。

結局早めに引き上げてしまったのだけれども。

 

空が破けるような音の中で、遠くに光の粒として降ってくる花火はきれいだった。

赤、青、緑、金の粒が夜の闇の中に消えていった。

 

実は一人で浴衣を着て花火を見に行ったことがある。

 

みんな友達と来ていて楽しそうだな、怯えることがないんだな、と思った。

 

でも隣には浴衣を着た友達がいて、はいって言ってかき氷を渡してくれたりする。

 

私はこの友達のことを大事にできているのだろうか、

と思うとちょっと胸が痛くなった。

 

だらだらと歩いてみたり、思いつきで「ポニョのラーメン」をつくってみたり、

夕方からディズニーシーに行ってみたり。パフェ食べたり、昼間からお酒飲んだり。

 

大切だけど、向こうのことを大切にできているかまではわからんから、難しい。

 

【3.銀山温泉

 

尾花沢市スイカの名産地である。

 

お湯はほんのりと鉱石のにおいがする。

夏に入るとあたたかいくらいだ。

 

夏の日差しと濃い緑がベンチを照らす。川の魚が跳ねてひかる。水しぶきが白い。

風鈴の音がどこかで聞こえる。セミの鳴き声も。

 

大正時代の面影が残る街並みで、私はどこか自分を取り戻したような気がした。

 

夏。

私が一番好きな季節。

 

最終的に車のメーターをみると1000km以上になっていた。

妙な達成感がある。