課題:自分ひとりの部屋

オンラインのライティング添削を始めて、グループチャットで課題の進捗を確認したりしている。このオンラインスクールはオフィスも持っていて、このオフィスでイベントが開催されている。そのイベントにこの間参加した。

自己紹介をしたり、自分が取り組んでいるコースなどについて話すのである。

(デザイナー志望の方が多い印象を受けた)。

 

私はどんなことに将来的に取り組んでみたいですか? と訊かれて間髪入れず「書評です!」と答えた。

そしておすすめの本はなんですか?

とさらに問われたので「ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』です!」

と言った。

 

『自分ひとりの部屋』とはイギリス文学史に名を残すウルフの、女子大生のための講演を下敷にしたエッセイである。

エッセイとは言いながらも、ウルフは読者のことをあまり考えてくれず、あちこちに話が飛び、なんだか言いたいことの核はあるのらしいのだが、シャイなのかなんなのか物事の核心にあまり触れようとしない。

このエッセイは1960年代以降のフェミニストによって、特に「女性は自分ひとりの部屋と年収500万円が必要」というところを強調して紹介された。

けれど読み進めていくと、ウルフが本当に書きたかったのは、過去の小説家や自分について、「もっとより良いものを書きたい」という叫びのように思えてくるのだった。

紹介文について、フェミニスト批評の古典として読んでも面白いし、文体や特徴的な「意識の流れ」についてもぜひ読んでほしい、とも書いたのだが、なんだか行き詰まって英文科出身の恋人に相談した。

 

彼は「シェイクスピアの妹ってなに?」とか「フェミニスト批評の古典を紹介するならこの場面を疑問形で示したりするとか...」などなど有益なアドバイスをいくつかくれた。

 

でも結局のところ、私はヴァージニア・ウルフを紹介するのを諦めてしまった。

シェイクスピアの妹」のエピソードは絶望的だったし、「意識の流れ」の文章は魅力的なのだけれど、それを味わうには英文にあたらねばならないと思ったかたである。

 

ということで、『自分ひとりの部屋』は紹介することはないだろう、と思っているのだが、どう考えてもやはり、このエッセイを読めたのは幸福なことであったと思う。

 

というのもウルフは未来の小説家たちを励ましてくれ、女性がペンで活躍することを応援してくれたからだ。

 

それにやはり彼女の思考の流れを追うのは面白かった。

具体的にどういう文章が、というのはぱっと出てこないのだけれども、川の流れのように絶えず移ろい表情を変えていくその文章は読んでいてとても面白かった。

 

いつかちゃんとおすすめの本として紹介したい。

観た:『ぼくたちの哲学教室』

教育、p4cに興味を持ったので観に行った。

久しぶりに英語の映画を観た気がする。

 

ドキュメンタリー映画はたまに観ていて、ここ10年くらいだとイランの映画の『人生タクシー』が良かった。

映画は「哲学」というよりは、子どもに「言語化」を扱っているように見えたし、教育者は宗教家に似てしまうんだな、という感想を持った。

北アイルランド問題については、国際関係的な事象としてもっと知りたいと思った。

政治と宗教の対立について、子どもに映像を見せたりするのはよろしくないんじゃ...と思ったし、メンタルケアを言語化で解決できるほど、心の問題というのは簡単ではないと個人的には考えている。

日本の道徳教育とイスラームは似ている、とムスリムから教えてもらったことがあるけれど、何を「善」としていくか、ということは詰まるところ自己鍛錬していくしかないのかな、などと思った。

校長先生は熱心な宗教家という感じだったし、独善的な印象が否めなかった。個人的にはああいう先生は苦手である。

 

軽井沢旅行(備忘録)

8/18(金)

 

9:46  軽井沢駅に着く。彼氏と合流。アウトレットに行く。

-12:00  アウトレットで服を眺める。秋服が欲しかったのに全然なかった。可愛すぎん? ってなったチェックのスカートのお値段が高めだったので見送った。彼氏は冬服を買った。

ワイングラス、ワインオープナー、ジグソーパズルを買う。

 

13:00 中軽井沢のかぎもとやでお蕎麦を食べる。

 

14:00 ツルヤで買い出しをする。シャインマスカット、ブルーベリーベーグル、チーズパン、ベビーリーフ、パンプキンスープ1缶、ベビーリーフ、ドレッシング、オリーブオイル、牛乳、パスタ、トマトソース、チーズの盛り合わせ2種、ピスタチオ。

 

15:00 鬼押出しハイウェイをドライブして別荘に着く。別荘と言っても古く、手入れがされているわけでもない。とりあえず布団を出して疲れている恋人を休ませる。

 

17:45 草津温泉に向かう。運転は恋人にしてもらった。

 

18:45 草津温泉に着く。西の河原温泉に行く。金曜日は混浴もあるということで、選択肢が他にないのかと思った私はレンタル湯浴み着を借りた。

 

19:30 焼き鳥を食べたり写真を撮ったりして観光をする。

 

21:30 別荘に戻る。ワインを飲む。すっかり疲れてうとうとする。

 

23:45 就寝。ワインを飲んでただけなのに時間が経ちすぎでは...。

 

8/19(土)

6:00 目が覚める。食事の準備をする。

 

8:00 恋人を起こす。

 

10:30 片づけをして別荘を出る。中軽のハルニレテラスに向かう。

 

11:00 ハルニレテラス到着。石の教会を見学。高原教会も外観を見学。

 

12:50 星野温泉(トンボの湯)に入る。汗を流してさっぱりした。

 

14:00 パスタとピザを食べる。パスタはジェノベーゼ。ピザは生ハムとマスカルポーネ。向かいのジェラート屋さんでジェラートを食べる。私は花豆ととうもろこし。恋人はミルクティーと美生柑。

ワインを売っているお店で帰りの新幹線でのおつまみを選ぶ。

雨が降る。

 

15:00 レンタカー返却。

 

16:00 新幹線に乗る。上野で乗り継いで成田へ向かう。

 

19:00 成田でターミナルを間違える。

 

20:00恋人を見送る。その後、どうにか電車に乗って帰宅。

 

20代のお金の使い方

自分がお金をどう使ってきたか、アバウトに振り返る。

 

だいたいにおいて私はお酒と本と旅行に使いがちである。たまに服にも使う。

本はたぶん、1ヶ月に1万円くらいのペースで買っている。

【旅行】

去年の12月に箱根ガラスの森美術館小田原城に行き、2月には別府・湯布院に行った。3月は山梨でワイナリー巡りをした。5月に大阪・京都・名古屋に行き、6月は横浜でミュージカルを観た。7月には北海道で2時間くらいのドライブ&BBQをした。8月は軽井沢に行く予定である。9月はまた北海道に行く。

 

えっ なんかすごい旅行しまくってる...。

 

30代ではほいほいと国際便に乗れるようにすることが目標である。

 

海外旅行はコロナの影響もあって行けていない。2017年(21歳)でクロアチアとトルコに行き、2019年(23歳?)でバングラディシュとタイに行った。

国内は24歳の時に熊本、25歳の時に宮崎に行った。

九州ばっかり行ってたな...。

 

【最近した大きな買い物】

勝負服に4万円かけた。

 

【その他】

自己投資してる。

 

【買った中で気に入っているもの】

パスケース

 

【節約できるのでは説について】

9月からお弁当をつくる...。

冬服が全然ないのに夏物ばっかり買っていたので反省している。

名ばかり会員のピラティスを辞める。

 

【30代でしたいお金の使い方】

居住場所をより快適にする。

海外によく行くか住めるようにする。

お酒によくお金を使っていたので、それはたまにとかにしたい...。

本が有り余っているので積読を解消したい。

自炊を頑張りたい。3食全部つくるくらいになりたい。そして季節の野菜とか果物を美味しくいただきたい。

美容を頑張りたい。自分なりの美容の仕方を身に付けたい。

(もし子どもができたら)子どもの教育にお金をかけたい。

 

 

 

『さらば冬のかもめ』

40ドルに手をつけようとしたことで8年の懲役となった水兵を、海軍士官の2人が刑務所まで護送する、という話。

早稲田松竹で観た。

 

「好きな俳優は?」と訊かれると「ジャック・ニコルソン」と答えるようにしているので、ジャックの演技が観れたのはよかった。

(今まで観たのは『カッコーの巣の上で』、『シャイニング』、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、『ア・フュー・グッドメン』、『最高の人生の見つけ方』くらいだけど...次は『イージー・ライダー』を観たい!)

 

最初は水平のメドウスの幼稚さや人間としての弱さをバダスキー(ジャック)は理解していて、ただメドウスよりも世渡り(というか物事の塩梅)が上手いから、こんな風に生きたらいいよ、ということをアドバイスしたいのかと思っていた。

印象的なのは「溶ろけたチーズ」と「卵」のシーンで、バダスキーは「このチーズを溶かすようにお願いしたいのですが」というようなバダスキーとしては丁寧な字幕訳だったのに対し、メドウスは「軟らかくない」というような命令口調だったことだ。

バダスキーは「思い通りにするなんて簡単なことなんだよ」と言い、思い通りにできることとできないことがある、というのが人生のままならなさを感じるラストにつながるのだが、このことからみても、バダスキーは現実主義者で、できることとできないことの区別をつけるのが絶妙に上手い人物なのではないかと思った。

 

それから日蓮宗系の新興宗教が出てくる場面も面白かった。バダスキーは「俺はこの空間は嫌いだ」と言っていて、歌い続ける人たちと、新興宗教にハマっていきそうなメドウスが対比されていて興味深かった。

 

「自分は無力だから救われたい」という気持ちと「与えられた条件の中で自分のことは自分で切り開いていくしかない」という姿勢の対比、というか。

 

全編を通してみて、『蜘蛛の糸』(芥川龍之介)のような話だとも思った。

救いたいという他者の支援と自分でなんとかするしかない、というところのバランスという点や、結局は己を省みなければ何度も同じ間違いをしてしまうだろう、という点である。メドウスもカンダタも自己中心的な人間であることに変わりはない。

 

閑話休題

 

そんな感じで、最初はメドウスの気持ちもわかっちゃうなーと思っていたのだが、仕事をしてからバダスキーの気持ちもわかるようになった。「こんな任務はもうごめんだ」という気持ち。

情があるからその人のためになることをしたいと思うけど、それが誰のためにもならなくて、情があるから自分たちを悪とする時の気持ちが、よくわかったのである。

 

早稲田松竹のポスターの中に、「バダスキーは組織人で〜」とか書いてあったけど、組織人だからではないと思った。誰かの弱さに目を瞑って第三者に自分が悪かったのだということって、組織人じゃなくてもあることだと思う。

 

最初にバダスキーはメドウスの弱さを理解していて、と書いた。

でもメドウスはもっともっと弱い人間だった。

人のことなんて理解できない。

人間と人間とのことなんて複雑で簡単にはいかなくて、想いが届かないことはよくあることだ、それも思い出ではあるけれど。

...という、ことが描かれていた点でとても良い映画だった。

 

ブログ引っ越し(予定)

PCでログインできなくなったのでブログを引っ越す予定です。

ログインができなくなったのはパスワードを忘れたから...
しかもメールアドレスが大学の時に使っていたものだったので(大学のメールアドレスのパスワードも忘れた)、詰んでしまいました。

今はスマホからログインしているのですが近々機種変を考えていることもあり...
同じはてなブログですが引っ越し予定です。

 

新しいブログのURLは

https://hannyhi8n12.hatenablog.com

です。

読者がいるかどうかもわからないけれど、もし私の身に何かあったりした時に、ブログを辿れると楽だと思うので、引っ越し先のURLを書いておきます。

 

それでは。

祖母が死んだ。

死亡診断書に書かれていた、いつ発病したかについて1年5ヶ月前とあった。私がまた東京に戻っていった時くらいだろう。9月末には、と事前に母から聞いていて、三連休の終わりの日に「今病院から電話があった」と電話があった。

ちょうど母は妹が上京するのに必要なものを買った後、家具を組み立て終えて帰る途中だったらしい。車で東京に来ていたので妹と私を拾って故郷へ帰ることとなった。

私の家を出る時、父から電話があり、「三時半に搬出だから」とあって混乱した。

午後二時二十分に医者から死亡の診断が下ったとという。

話していないと気が重くなりそうだったので、車の中で母と妹と明るく話した。

エリザベス女王は長生きだったね、とか喪服はどうする? とかそんな話だ。

搬出先のメモリードホールでおばあちゃんの顔を見た時は、きれいな顔だったが、少し怖くも感じた。黒の帽子をかぶっていた。まつ毛が長くて眠っているようだった。

でもそれは死者の肉体にすぎなかった。

魂の抜け殻で、目が覚めて話をするようなことはもうない。

葬儀がまだだからか、寂しいというような感情はなかった。

帰宅してから両親は電話をかけ始めた。叔父が家に来て、がっくりと肩を落としていた。

妹は寒気がすると言って風呂に入り、熱があると言って一度東京に戻ることになった。

私は上司に電話をして、休みをもらうことにした。お前は休みすぎだ、と父にも母にも言われた。

 

祖母は、発病したくらいから、溜息をつくことが多くなり、痛いと言って何か喚き、リビングのソファに座って延々とテレビを見続けていたのだった。美容師で、着付けも時々やっていた。運転はしなかった。あまりものの豆腐などで創作料理のグラタンをつくる時もあり、料理はまあ得意な方だったと思う。

「お前を一番可愛がっていた」と母に言われたが、記憶の中の祖母は、私にとってはむしろ過剰な感じがした。「憎らしいんね」と何度も言われ、母が言うにはそのストレスは母に向かい。なぜ私が巻き込まれなければいけないんだと思っていたと言う。

両親と祖父が葬儀屋に打ち合わせに行っている間、私は留守番として実家にいる。電話や来客の対応をしろということだったが、なんの通知も来ない。

祖母がいつも座っていたソファで横になり、こうしてブログを書いている。

祖母は81歳で亡くなった。