今日は9:45〜17:30まで図書館で本を読んでいました。
ゼミの発表があるのでその文献探しです。
テーマは「ドイツの歴史教育」にしようかなぁと考えています。
ドイツって現代史だけで1年かけるのだそうです。日本は現代史がとっても薄いのに!
そして教育と進路選択とか、国民国家とか考えると結構面白いテーマなのです...
といっても読んでいて面白かったのは
ジョン・ルカーチの「歴史学の将来」という本。(以下Amazonリンク)
https://www.amazon.co.jp/歴史学の将来-ジョン・ルカーチ/dp/4622077647
表紙はフェルメールのDie Malkunst(絵画芸術、絵の描き方)の女性。
この絵の女性は歴史と英雄詩を司る女神、クレイオなのだそうです。名前は祝福する、という言葉に由来しているそうです。(うぃきぺでぃあより)
この女神を切り取って表紙にするところがこう、ぐっときます。
内容は小説と歴史の違いとか、歴史(学)はこういうものである、といったものでところどころに警句的、文学的引用があって面白かったです。
私が好きな引用はヨハン・ドロイゼンというドイツの歴史家の引用です。彼の経歴についていいとか悪いとかの判断は今の私にはできないけれど、彼の言葉はものすごく腑に落ちました。
「歴史とは光と真実ではなく、それを追い求め、それについて説き、それに身を捧げることである。歴史は光ではなく、光の証をするためにつかわされた洗礼者ヨハネの似ている」
なるほど〜って感じですよね。
いえ、この言葉の言わんとすることを全部理解するのは難しいですけど。
歴史には「つくられた」歴史と、「誰にも見つかっていない」歴史があるのだと思います。
この、「誰にも見つかっていない」歴史を辿るのが文書であったり、そういう証拠一連なのだと思われるのですが、これを再構成することが歴史家の役割であり、私たちが高校で知るような歴史はいわば「つくられた」歴史なのです。
その歴史は確かにそこにあったものなのかもしれないけれど、解釈の仕方や集めた史料、時代の流れによって「教わる歴史」はだいぶ変わってきます。
たとえばドイツは今でこそ現代史に1年をかけ、「ナチスの悲劇を繰り返さない」教育、悲劇を持つ国の国民として生まれたという歴史教育をしていますが、これは1960年代半ばから1970年代初頭に確立された特徴だと言われています。
これは1947年のポツダム協定に基づく方針だそうです。
「ドイツの教育はナチズムや軍国主義の教義が完全に払拭され、民主主義の理念が十分に発展するように規制されなければならない」。
と考えると「歴史ってなんだろう〜」って思いませんか?(私は思いました)。
日本の歴史について知るならば、きっともっと外側から日本を見る必要があるのでは、、、と私は考えます。
話はそれますが高校の科目で「近現代史のみ」ってちょっとこわいなぁって思います。つながりがわからないのって理解に苦しみそう。
(産経ニュース:「高校に「近現代史」新設検討 文科省、日本史必修化で」2014/8/17 アクセス日:2016/11/25 18:57 http://www.sankei.com/smp/life/news/140817/lif1408170002-s.html )
でも人は生きていくのに仕事が必要ですから、
のんびりと構えて職業スキルに必要なことだけを考えて行動するのも悪くないかもしれません。
...そう考えるとマックス・ウェーバーは偉大だ...
(「職業としての学問」「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を書いたから。読んだことないけど)。