This is Halloween

NIghtmare Before the Chiristmas のThis is Haloween を聴きながらブログを書いています。

ついさっきレポートを提出できました 。

ぎりぎりだった・・。

「あれ、もう過ぎていない?」とかいう声を聴きながら手伝われ、提出しました。

からだめぐり茶が身にしみる・・・。

 

今日はフランス語の授業でしたが、あんまりうまく訳せず落ち込みました。

きちんと勉強する時間をとろう。

うう・・・。ユーロスターてなんや・・・、地名かと思たわ。

 

今日はこのあとゼミです。

そういえばまたくじを忘れました。

ああ・・・。

ハンナ・アーレント

ちくま学芸文庫の「人間の条件」を読んで絶望していました。はちみつです。

 

今日はテストが1つだけだったということもあり、強風の中帰宅して本を読んでいました。

 

ハンナ・アーレントは政治哲学者で、「エルサレムアイヒマン」とか「全体主義の起源」を書きました。

彼女はヤスパースとかハイデガーに師事し、哲学、神学、思想にまでその思考を広めた現代に最も近い「知の巨人」です。

 

アーレントに関して様々な書籍が出版され、現代社会の問題点を論じていますが、彼女の書いたものを読まずして、入門書を読むことは間違いかねないので、(とはいっても訳書ですが)「人間の条件」を読むことにしました。

 

先に全体主義について読んでもよかったのですが、まずはハンナ・アーレントの思考体系を辿る方がいいかと思い、こちらから読むことにしました。

 

というのも、ハンナ・アーレントに関してその考え方やキャリア、体系がどのようにして全体主義の要素を分析するにあったのか知りたかったからです。

 

読んでいるうちに、古代ギリシアの物の考え方、奴隷制ソクラテスプラトンアリストテレスホッブズなど理解が難しい人たち・概念に出会い、途方に暮れています。

 

やはり神学から哲学に入った人の体系は広くて深い...気がする。

 

とはいえ、時々ものすごく光った文章や、考えがあって、その他のところも味わえればその方がいいのですが、そういう文章を何度も何度も読むことがとても楽しいです。

 

しかし、やはり指標のない哲学は、どのように考えていったらいいかわからず、迷います。

 

大学で哲学を学べる人が羨ましいですねー。

春にして君を離れ

アガサ・クリスティーのロマンティック・サスペンスを読みました。殺人のないミステリーの方が好きかな。

 

解説で栗本薫が「哀しい小説」といっていましたが、私は「恐ろしい小説」だなあと思いました。

 

この話しとモーパッサンの「女の一生」はかなり似ていて、でもものすごく違う点があります。

主人公はどちらも世間知らずの自己完結型女性です。名前もジャンヌとジョーンで似ています。ジョーンはジャンヌの英語読みですね。

 

ストーリーは大まかに、娘の手伝いにバグダットまで行った女性が帰路に着くまで、いろんなことを思い返すお話しです。どちらの女性もほとんど成長しません。とはいえ違うのは、ジャンヌは共感から批判的に書かれるのに対して、ジョーンは批判的から共感できるように書かれていることです。ラストのエピローグでは、ロドニーが少し嫌なやつに見えてしまいました。

ジャンヌは自分の中できちんと悪いものを悪いと思っているわけだし、苦しんでもいるわけですよね。

彼女のような生き方を無下にはできないところが恐ろしいと思います。

 

ただ一方で 娘たちが反発するのもよくわかるし、旅先で出会った人の言葉もはっとするような文章が多くあります。

ジョーンは今度、夫が死ぬまで内面的なヴィジョンを見ることはないでしょう。

それから公爵夫人に好感を持ちました。

 

徹底的におちぶれてほんのわずかな希望を与えてくれるのはモーパッサンの「女の一生」ですね。

 

どちらも夫婦関係はひどいものですが、それにしてもロドニーとジョーンの関係は哀しいです。

自分の弱さが似た者同士ゆえであり、だから夫婦でいることは、結婚に対してものすごく悲観的なものに思えます。

エイブラルが幸せであればいいのだけど。

 

そしてきっとこの話しがどこか遠くに思えるのは、自分にもあるそういう、狭くて自己完結している嫌な面について触れないでいるという、まさにジョーンと同じことを読者がしてしまうようにできているからでしょう。

こういうことは共感できるように書かなければできないことです。

 

もっと多くの人にこの小説が読まれて欲しいなと思います。

得意なもの、苦手なもの

フランス語の活用小テストで「よくできました」のハンコを2週連続でゲットできました! うれしい!

ここまで来るのに2年半年。(遅い)。

まあでも私は自転車に乗れたのも12歳の時だったし、まあいいかな。

 

ワープロに7歳の時に触ってお話しをつくり、ピアノを4歳からはじめ、水泳をバタフライまで習得しました。

トロンボーンを吹いて、朗読をして、歌を歌っていました。漢字を勉強して、毎年夏に家族と愛媛に行きました。

1990年代に生まれて、携帯はなくて、日曜日にプラネタリウムに行きました。

グループ行動が苦手で、トイレに何人かで行くことが理解できなくて、よく怒られました。

怖がられることがあったり、バカにされることがあったり、よく黒い服を着ていました。

2008年ごろを境に周りの世界がどんどん変化していって、町内の花火大会が中止になり、ワープロがパソコンになり、家が建て替えられ、ニンテンドーDSが流行しました。

好きだったもの、得意だったことがさらさらと手から溢れ落ちて行く砂のように失われ、眠れない日や涙を目にいっぱいためることが多くありました。

 

私の世界は光とともにあり、とはいえ学校が楽しくない日もまあ多く続いたけれど、晴れの日も雨の日も、寒い日も暑い日も、

たまに詩を読んで算数の計算をして、未来のことにわくわくしていました。

楽しかったなあ。

 

でも私の記憶にある楽しい思い出の中で、私は一人です。

自分の世界というものをとても大切にしていました。その方が居心地がよかったからです。

 

そのようにして私は育ちました。

 

RENT

UNCHRの難民映画祭に出品されていたある映画に途中で飽き、RENTを見ていました。10月17日のことです。

 

HIV陽性、同性愛、人種、

それぞれ異なるカテゴリーを持った人たちが集まるニューヨークを舞台に、プッチーニのオペラを下敷きにしたミュージカル映画です。

 

脚本・台本・作曲をこなしたジョナサン・ラーソンの才能たるやものすごくて、どの曲も聞き惚れてしまいます。あと聞きやすいですね。

特に好きな曲はLa vie Boheme , today 4 U , one song glory ですね~。

 

戦争の反対は平和ではなくて、創造であってほしい。

 

最後のシーン、オペラではミミが亡くなってしまうのですが、そうはいかず、

明日への希望を歌うところがやはり現代的だし、いいなあと思いました。

 

フィクションのもつ夢は、娯楽だけでなく私たちに感情的な共有、人類が直面してきた普遍的なことを伝えてくれる力があると思います。

 

あと1990年付近のニューヨークの街並みに感動しました。

ニューヨーク…住んでみたいなあ。

 

好きな建築物はなんですか

友達と一緒に新国立美術館の建築家:安藤忠雄展に行きました。建築界のコム・デ・ギャルソン

 

無機質なコンクリート、光、風、ガラス...。在野の建築家というか、それでも飛び抜けているところはすごいなあと思いました。ゲットしたポストカードは高校生の頃に見惚れていた、光の教会

坂の上の雲ミュージアムに行った時も、無機質なのにあたたかみのある建物に建築のすごさを感じました。

安藤忠雄はその生き方とかにスポットライトがあたりがちだと思います。

それだけ彼が創りだしたものの影響力が大きい、ということなんだと思います。

 

f:id:hannyhi8n1:20171022222856j:image

 舞台だけど、ブレゲンツ音楽祭のこの舞台装置も好き。

 

建物だとこういうビルが好き。

f:id:hannyhi8n1:20171022223011j:image

 

建築物は芸術なのだろうか?、哲学を持っているのだろうか?、芸術と哲学の違いは何か?

 

ということにどんどん疑問が広がりました。

私は建築はいわゆる芸術とは違うと思うし、アートテクノロジーとも違うのかなあ、とも思います。設計図を書くことはかなり理知的な作業なのかな、とも思いました。

 

建築の意味も古代と現代ではだいぶ違っているのかな..とも思ったり。

 

住居の多様性よりも、設計やより物質的なものに注目することが建築なのかなあ、と思ってみたり。建築学科の人ってどんなことをしているんだろうなあ。

 

 

 

 

境界

リサーチペーパーを書け、と言われて泣きそうな気分です。はちみつです。

 

今日は社会主義思想についてざっとやる授業と、英語と英語と英語教育の授業でした。

 

リサーチペーパーとはよくわからないけど論文を書くための雛型のようなものです。

他の子が興味のあることや卒論テーマが決まっていくのに対し、「今の時期は専門とか絞らんでええよ」という先生の言葉を間に受け、小説を読んだり死生観について考えてみたりしています。

だから、テーマが決まっている子を見ると本当に眩しい。

 

テストがはじまるのでそろそろいろいろ準備しなくてはならず、再再履のフラ語を使える場所に行ってはどうかとか、

私はフィールドワーク的なことが合っているんだろうか、とかそんなことを考えています。

 

どうなる、卒業論文....!

 

「本とかいっぱい読んでるしさー」と言われると辛いです。全然読めていないなぁとか、どうすればもっと自分の知りたいことがそもそも「知りたい」と認識できるのかとか、「意識」って面白いなー

とかそんなことしか考えられていません。

 

とりあえず今日はフランス語とリーディングを勉強しつつ読書をしています。

 

最近、自分が歴史とか文化に興味があることがわかり、「あー文系なんだー」と思ったのですがそのうち理転もしたいです。

 

明日もインターンですが、(めんどうだ...)と思うほどに私の就活への興味がだだ下がりしています。

 

あ、そうそうタイトルにした「境界」ですが、境界というものにすごく惹かれます。たぶんそれは90年代生まれのよくあるサブカル志向なのですが。

 

たとえばなんでイスラームは「イスラーム」と一括りにされるのかとか、なぜ何かを分類していくということが大事なのかとか、ガラスに光を通すとどうなるのか、そういうことに共通していることなんじゃないかと思います。直感的に。

 

でも学問の世界では、それがなぜ「そう」なのか、言葉にして定義づけしていくことが大事です。合理的なサポート・センテンスがなければ、それは「論じられている」とは言えません。

 

リサーチペーパーなんか書けないよ、

という私の困惑が誰かに伝わるといいなと思います。

 

あー、ココアでも飲みながら「ソフィーの世界」とか読み直したい。