Tangled -魔女は「悪役」か? (感想文)

映画「塔の上のラプンツェル」(原題:Tangled)を見直した。

 

Tangledは「もつれた」、「こんがらがった」のだという。

 例)tangled threads/ tangled affairs / tangled  politics

 

しかも、舞台となる国は太陽をあしらったマークがシンボルの「コロナ王国」。

 

「今 みるべき映画ベスト100」とかに推薦されてもいいのではないかと思う。

 

閑話休題

 あらすじとしては比較的わかりやすい。18年間魔女に「娘」として塔の中で育てられた王女・ラプンツェルが、「毎年自分の誕生日に夜空に光る灯りを近くでみてみたい」と願い、ふいに塔にあらわれた盗賊・フリン(本名はユージーン)とともに自分の夢を叶えに外へ飛び出す。しかし、育ての母親である魔女・ゴウテルは彼女の冒険を快く思っておらず、「外は危険」「あなたは花のようにかよわい」と言って戻ってくるように伝える。ラプンツェルの髪にはある特徴がある。暗闇でも輝き、また人を癒したり若返らせる力があるが、髪を切るとその力は失われてしまうのだ。

 彼女が戻らないつもりであると知るやいなや、魔女ゴウテルはフリンを追う盗賊兄弟をけしかけ、塔に戻るように繰り返す。

 

というお話。

 

ゴウテルは「実の両親からラプンツェルを引きはがし」、「18年間塔の中に閉じ込め」、「最後にはラプンツェルを鎖につないでまで、彼女とともにいようとする」。

レビューには「ゴウテルは彼女の髪を利用し、そのために彼女を愛していただけで、それは虐待行為だ」「外に出ようとする彼女を閉じ込めようとするなんてひどい」という趣旨の感想がしばしば散見される。

 

そうはいっても、コロナの支配が続く2020年の現実世界においては、映画を観終えた後で「外に出ようとする彼女を閉じ込めようとするなんてひどい」と言い切ることはできないのではないか。むしろ、外出よりもstay homeが推奨されている現実世界における外出自粛の要請は自身の身を安全に保つ行為であり、医療崩壊といった社会状況の危機を回避する手段でもある。

 

「外に出たい」というラプンツェルに対して、魔女は「信じて愛しのわが子」と歌いかける。

Trust me, pet

(信じて、わたしのかわいい子)
Mother knows best
(お母さんはなんでも知ってるの)
Mother knows best

(お母さんは何が最善か知ってるの)
Listen to your mother

(母のいうことを聞いて)
It's a scary world out there

(外の世界は恐ろしいの)
Mother knows best

(お母さんは知ってるのよ)
One way or another
Something will go wrong, I swear

(誓って言うわ、何かと間違っていることってあるのよ)

Ruffians, thugs, poison ivy, quicksand

(悪党、犯罪者、ウルシ、底なし沼)
Cannibals and snakes, the plague

(共食いする人だっているし、じっとこちらを伺う蛇、それらを取り巻く疫病だってあるわ)
Also large bugs, men with pointy teeth and -

(大きな害虫だっているし、牙を持った男も、それから…)
Stop, no more, you'll just upset me

(これ以上はもうダメ! あなたって本当に私を不安にさせるのね)

 

 

   この後、魔女はラプンツェルが代案として願った「白い貝殻の絵具」を探すため家を空けることになり、その間にラプンツェルはユージーンとともに塔を抜け出す。

 ラプンツェルは外に出たことに喜びとゴウテルへの裏切りとの間で葛藤するが、旅の途中で出会った悪党(と世間的に言われる人々)の「夢を叶えろ」という言葉に背中を押されて、王国を目指す。

 ゴウテルはユージーンとラプンツェルが離れる機会に現れ、「私が正しいことがわかるのだから、彼を試してみなさい」と伝え、ユージーンを追う盗賊兄弟に二人を追わせる。魔女は盗賊兄弟がラプンツェルを誘拐し、追いかけようとするときに再び現れる。(盗賊兄弟が気絶する瞬間、カメラは兄弟の死角に逃げ込んだラプンツェルにアップされる。このため、どのような過程で兄弟が気絶したかは観客に明らかにされない)。

 ユージーンは兄弟によって、船を操縦するような恰好で気絶させられる。その姿を目にしたラプンツェルは目に涙を浮かべ、ゴウテルの元に駆け寄る。

 塔に戻った後、ラプンツェルはゴウテルに対して

" I am the lost princes, am't I ? "

「私が行方不明の王女ね? そうでしょ?」

"Did I munble, mother ?"

「ぼそぼそしゃべった? お母さん」

”I shouldn't be call you that."

「そんな風に呼ぶべきではないわね」

 

とゴウテルと自身の関係が母ー子であることを拒否する。

 

ラプンツェルは「すべてあなたのせいなのね」と詰め寄るが、

ゴウテルは

”Everything I did was to protect  you.(私はあなたを守っただけ)”

と答える。

 

このやり取りのあとラプンツェルは「力を隠したのはあなただった」「あなたは世界の見方を間違っているし、私に対しても見方を間違えている」「二度と力を利用させない」と言う。

ゴウテルは「私に悪役になれというの? いいわ。悪役になってやろうじゃないの」とつぶやきながらラプンツェルの後を追う。

このセリフによって、「それ以前の自分は悪役ではない」という彼女の主張が観客に提示されるのである。

 

実際それまでのラプンツェルは18年間守られてきた。大人から見放されて「大人にならざるを得なかった」ユージーンとは環境が異なる。ゴウテルは実の親ではない。だが、ラプンツェルは、ひょっとしたら実の親以上に可愛がられて育てられてきたのだ。

 

「私に悪役になれというの? なってやろうじゃないの」というセリフは、

これまでの自身の行動に関する自己評価を「要求によって反転させる」という意思表示でもあるのだ。

 

相手の要求によって自身の信条とでも言うべき自己評価を覆すゴウテルの行為は悪といえるのか?

 

これに対して答えを得るためには、悪という言葉について、古典的でありながら普遍に問われる「悪」に対して議論されなければならない。

あるいは古今東西存在する「悪役」なるキャラクターについて、様々な例を引きながら、ゴウテルが「悪役」か否かを証明する必要がある。

 

ただしこれは「ブログ」であるし、もっといえば「感想文」に近いのだから、証拠のない私見を述べる。

 

これに関して、後のユージーンと比較する。

 

ゴウテルに刺されたユージーンは傷を癒そうと近づくラプンツェルの、まさにその傷を癒す力を持つ髪を切り取る。ラプンツェルは幾度となく利用してきた自分の力を失うのだ。

髪を切る=力を失う ことで得られるのは何か?

 

特別な力を失ったことで得られたのはありのままの自分、Let it go という結論にはしたくない。長い髪の彼女も短い髪の彼女も、彼女は彼女であり続けていたからだ。

特別な力を持つ彼女も、彼女である。金髪でも栗毛でも彼女は彼女であり続ける。

 

ゴウテルは髪を切った彼女に対しても悪役で居続けたのだろうか?

髪を切った彼女にも一緒にいてほしいと願っただろうか?

 

髪を切った途端、魔法は解け、ゴウテルはみるみる老い、最期には灰になってしまう。灰になる姿さえ、その場にいるラプンツェルとユージーンに確かめられることはない。

物理的に、いわば人間の身体現象の一つとして、髪を切ったラプンツェルと一緒にいることはできなかった。

 

ラプンツェルにとってゴウテルは悪役だったのか?

関係性がこの場で解消されたことで、ゴウテルが「悪役」であったかどうかはやはり、

彼女自身が宣言してから灰となって消えるまでの間でしか判断をすることができない。

 

言い換えれば、灰となって消えることで、彼女の「悪役」宣言は解消されたのだ。

 

「悪役」になることは、ゴウテルが望むことではなかった。

「悪役になってやろうじゃないの」という言葉からは、それまでの行為が、彼女自身からたびたび繰り返されたように「母である」ことに基づいて行われたものだと言える。

 

ゴウテルは「魔女」でもなく、「あなた」でも「悪役」でもなく、ただラプンツェルにとっての「母」でありたかったのではないだろうか。

 

母=外の世界の恐ろしさからかくまってくれるもの

という役割はラプンツェルがはじめて抵抗をした時に、彼女自身によって役割の変更が宣言される。

 

これによって「外の世界の恐ろしさからかくまってくれる」存在はラプンツェルからいなくなる。

 

これはラプンツェルが望んだことだが、これは果たしてラプンツェルにとって喜ぶべきことなのだろうか?

 

喜ぶべきことである。

 

老いをせず、死なないということは自然に反することであるし、

自然に反した状態での関係性を築くことはできない。

だが自然に反した状態でも関係を築きたい、という彼女の願いは、物語によって再現された。

そして物語によって否定される。

ラプンツェルはユージーンとの関係性について観客に知らせることはできるが、ゴウテルとの関係性が何であったかについては語らない。

 

語られない関係性を語ることはできない。

 

ゴウテルは「母」として呼ばれることは明確に否定されたが、かといって「悪役」であったと明言されたわけでもない。

このことはラプンツェルを守ろうとした彼女にとっては「闇の中の太陽の光」であったのではないだろうか。

常々「闇の中の太陽の光」を否定していた彼女にとって、そのような光があったことは、救いであったかもしれない。

 

最も、彼女は「闇の中の太陽の光」を否定していたが。