死亡診断書に書かれていた、いつ発病したかについて1年5ヶ月前とあった。私がまた東京に戻っていった時くらいだろう。9月末には、と事前に母から聞いていて、三連休の終わりの日に「今病院から電話があった」と電話があった。
ちょうど母は妹が上京するのに必要なものを買った後、家具を組み立て終えて帰る途中だったらしい。車で東京に来ていたので妹と私を拾って故郷へ帰ることとなった。
私の家を出る時、父から電話があり、「三時半に搬出だから」とあって混乱した。
午後二時二十分に医者から死亡の診断が下ったとという。
話していないと気が重くなりそうだったので、車の中で母と妹と明るく話した。
エリザベス女王は長生きだったね、とか喪服はどうする? とかそんな話だ。
搬出先のメモリードホールでおばあちゃんの顔を見た時は、きれいな顔だったが、少し怖くも感じた。黒の帽子をかぶっていた。まつ毛が長くて眠っているようだった。
でもそれは死者の肉体にすぎなかった。
魂の抜け殻で、目が覚めて話をするようなことはもうない。
葬儀がまだだからか、寂しいというような感情はなかった。
帰宅してから両親は電話をかけ始めた。叔父が家に来て、がっくりと肩を落としていた。
妹は寒気がすると言って風呂に入り、熱があると言って一度東京に戻ることになった。
私は上司に電話をして、休みをもらうことにした。お前は休みすぎだ、と父にも母にも言われた。
祖母は、発病したくらいから、溜息をつくことが多くなり、痛いと言って何か喚き、リビングのソファに座って延々とテレビを見続けていたのだった。美容師で、着付けも時々やっていた。運転はしなかった。あまりものの豆腐などで創作料理のグラタンをつくる時もあり、料理はまあ得意な方だったと思う。
「お前を一番可愛がっていた」と母に言われたが、記憶の中の祖母は、私にとってはむしろ過剰な感じがした。「憎らしいんね」と何度も言われ、母が言うにはそのストレスは母に向かい。なぜ私が巻き込まれなければいけないんだと思っていたと言う。
両親と祖父が葬儀屋に打ち合わせに行っている間、私は留守番として実家にいる。電話や来客の対応をしろということだったが、なんの通知も来ない。
祖母がいつも座っていたソファで横になり、こうしてブログを書いている。
祖母は81歳で亡くなった。