『紙の月』(2014、松竹)を観た。

角田光代さんの文章をはじめて読んだのは中学生くらいだったかと思う。

国語の文章題で角田さんの小説が取り上げられていた。

無駄のないリアルな描写に行く先が気になった。

 

主人公は誰かを依存させることを与えることだと考えている、全力で空虚さから逃げることのできる人物なのではないかと思った。

その空虚さは夫が妻の自立を阻んでいることに起因していて、何かに感動したい、とか何かにやりがいを感じたい、という気持ちが横領や年下の大学生との恋愛にはまらせたのではないかと思った。主人公は自分が主体的に行動できるという実感が持てないから、消費することで空虚感をごまかしているのだ。

 

それなのに、追い詰められて疾走する彼女にはどこか爽やかささえ感じる。

私の人生はスタートしたばかり、と言わんばかりの清々しさがある。

 

けれども逃げ続けるのは体力のいることで、お金は有限である。

彼女は自由になれたのか。また別の地獄へと進んだだけではないのだろうか。

彼女は自分の中にある空虚さを、どうすればなくすことができるのだろう。

タイの雑踏に答えはあるのか、それも私にはわからなかった。

 

大学に行けて良かった

中途覚醒してしまったので、大学に行けてよかった、という話を。


成績はよくはなかった(むしろギリギリで卒業した)のですが、療養期間中に「大学に行けてよかったな」と思いました。

私の出身大学は女子大で、リベラルアーツ教育をウリにしている、東京の田舎の方の大学です。キャンパスは自然豊かで、季節のうつろいがとても美しく、そこに通うだけでなんとなく気分がよくなる大学でした。

反省点は英語とフランス語をもうちょっと勉強した方がよかったことで、あとはもっと授業をとってもよかったな、ということ、卒論のテーマを3年次くらいまでにかためてもよかったとう点でしょうか。(溢れ出る反省点)。

キャンパスの居心地が良すぎて私は院進か就職を選べず、また戻っていきたい、ということを周囲に言っていました。

コロナで療養中に大学のきれいなキャンパスを思い出して、「また別の学科で入学できないかな」などとのんびりしたことを考えておりました。

ずっと勉強だけしていたかったけど、「社会との接点を持たねば」と焦る私は学生寮にアルバイトにインカレサークルにと時間を使っていました。結果今もまだ友達なのはゼミの同期くらいで、交友関係を広げようと思ったのに薄いままです。

就職活動も自分に自信がなさすぎて、うまくはいきませんでした。

(就職率の良さもあってその大学を選んだのに)。

授業は国際政治、とか国際機構論、とか「国際的と言われるものについて」の授業を多くとっていました。今は「国際関係史」の授業があるらしくて羨ましい...。

私は文化人類学的なリサーチの仕方をとりたくて国際ウェルネスというコースに入ったけど、今なら何をテーマにするかな、なんということも考えてしまいます。


入学できてよかったーー。

(卒業もできてよかった)。

ついにコロナになった。

コロナに罹患してしまった。

感染経路はわかっていない。

実家に帰ってもいたので、母と妹にも感染させてしまった...。申し訳ない...。

が、母はホテル療養で家事から解放され、友達と電話したりヨガをしてみたり、スパイダーマンシリーズの新作を観たり、結構楽しく過ごしているらしい。

以下備忘録。


実家に帰って東京に戻ってきた次の日、なんとなく体調が悪いな、と思った。歯磨きまでしたのに出社できる自信がない。

ということで休むことにした。

その日の夕方に、次の日の出社が可能か聞かれたので、「午後出社だし大丈夫だろ!」と出社することにした。

なんとかその日出社したものの、頭痛と腰痛がひどく、眠気もあり、食欲がなかった。悪寒もした。頭がほとんど働かなかったので業務が進まず。

帰ってから寝ると「天使が海辺で首を吊る夢」をみて目が覚めた。午前4時だった。背中が痛かったのと、なんとなく熱がありそうだったので体温を測ったら38.8度だった。検索して「発熱外来相談センター」なるものの電話番号を見つけ、24時間対応だったのですぐ電話した。

看護師さんが出てくれ、近くの病院を3カ所教えてくれた。注意事項についても教えてくれ、頭痛と腰痛のために買った市販の薬を飲んでもいい頃だ、と言われたので市販薬を飲んだ。

7時くらいに会社の上司にSMSを書き、先輩にも休む旨LINEした。

9時になってすぐ病院に電話をかけ、2件目の病院で発熱外来の予約をとった。

咳は出ていないし、ただの風邪だろうと思っていた。実感ではインフルエンザの時とかワクチンを打った時の方が辛かった。

奇跡的にその日13時半の発熱外来の予約がとれて、病院も近くにあったのでスムーズに診察ができた。

診察では喉が少し腫れてることがわかり、カロナールを処方してもらった。念のためと思ってPCR検査もした。

今回のPCR検査は鼻で採取するもので、ちょっと痛かった。

家に帰って、熱がだんだん引いてきた頃、母も寝込んでいたようで電話して話をした。

それからAmazonポカリスエットを買ったり、「1日分のビタミン」(ゼリー)を買ったりした。

お盆は山梨に行く予定でいた。翌日昼前に検査結果が通達されていなかったら行ってしまうところだった。

朝起きると唾も飲み込むのも大変なほど喉の痛みがあり、効果はあるのかわからないけどカロナールを飲んで痛みに耐えていた。

11時くらいに病院から連絡があり、「陽性でした」とのことだった。

ほんとに風邪だと思っていたので(コロナの疑惑もあったが)、「えっ 陽性...?」と唖然とした。

上司に連絡をして、寝込んでた母にも連絡した。

それからは東京都のサポートで(私は都内に住んでいる)、食糧支援を受けたりして自宅療養という名の引きこもり生活に慣れて行った。


☆事前にあってよかったもの

体温計、iPhoneポカリスエット、ゼリー、お粥(レトルト)、龍角散のど飴。


龍角散のど飴は絶えず舐めていた。喉の激痛に耐える対処法として龍角散はとてもいい効果をもたらす。


☆受けてよかった支援

都の食糧サポート、発熱外来相談センター。

https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/shien/uchisapo_tokyo.html


https://covid19.supportnavi.metro.tokyo.lg.jp/service/EDp1nr1qF93oYS5J



☆参考になったサイト

厚生労働省のサイト。

(例)

https://www.mhlw.go.jp/content/000928216.pdf


◯感想

私は「なんとなく体調が悪い気がする」、「頭痛と腰痛があって辛い」という状態から発熱し、コロナにかかっていることがわかった。発熱外来相談センターが24時間対応してくれているおかげで、発熱しても不安にならずにその後どう行動すればいいかを頭に描くことができた。ただ、スマホを持っていない高齢者などはアクセスできる情報に限りがあるから大変だと思う。

熱も引き、特に症状の無い今はだらだらごろごろして引きこもり生活を送っている。

睡眠時間をゆっくりとれる生活ができてよい。

自宅療養を1週間以上としてくれて、行政のみなさまありがとうございますというお気持ち。

あと食糧支援がすごく助かっている。

医療従事者のみなさまも行政のみなさまもありがとうございます。

コロナ、罹っていない人はほんとうにアルコール消毒などしてお気をつけください。

「わたしは最悪」~フェミニストならどう評価する?~

映画「わたしは最悪」をヒューマントラスト有楽町で観ました。

私は観る前に、女の子がもっと自分に自信を持てるような、恋愛において成長が見られるような映画なのかな、と期待していたのですが、男性視点からみた女性というような映画で、あまり好感は持てませんでした。

 

理由はまず、性描写が過激な点。

「こんなこと役者にやらせる?」というような描写が散見されました。また、アクセルとユリヤの別れる場面でも、話し合いではなく性行為をすることで関係を保とうとする点が気に入りませんでした。

 

次にユリヤという人物に現実味がない点が気になりました。

アクセルという性差別的な表現をするコミック作家と別れた後、ユリヤは彼がフェミニストと議論するテレビ番組を見ます。ユリヤは議論そっちのけで恍惚とした表情を浮かべてアクセルを見つめているのですが、私は「ユリヤはアクセルの女性観というものは気にならないのかな」と疑問に思いました。

ユリヤがアクセルと別れたのは、「自分の人生を生きていないから」「他に好きな人ができたから」だったと思うのですが、アクセルのような性差別的な内容をコミックとして描き、さらに「子どもが欲しい」と思っている人物であれば、ユリヤはもはやアクセルに興味を持てなくなっているんじゃないかと思うのですが、そこまでアクセルに惹かれる理由はなんなのかが気になりました。やっぱり彼女は男性がつくったフィクションの人物である、という気がします。ユリヤはもっと理性的に行動していいと思いました。

 

3点目にアクセルが病気をし、死を迎えるという物語の筋が観客を感傷的な思いに誘導させようとしている感じがして嫌でした。

病気をして、死ぬことを待つ彼の言葉は教師か牧師のようで、ユリヤが彼と別れた理由をぼかしていると思いました。これが「(500)日のサマー」とか「ブルーバレンタイン」みたいに「男性側にも問題があった」と描かれる方が、別れという結論に納得がいくのですが、アクセルがユリヤに言う「君は行き詰ると別れる」というセリフがあるように、「原因は全てユリヤにあった」というような別れの描き方をしている点が気になりました。どんなカップルにも別れという決断にはそれ相応の理由があるはず、と私は考えているので、アクセルという人物に嫌なところがないように描いてる点が不自然だと感じました。またもし、ユリヤが感覚的で感情的な人間なのだとして、アクセルのことについて、もっと葛藤してもいいと思いましたが、そういう描写もないのがやはり納得がいきませんでした。

 

観終えてから、この作品が高い評価を得ていたことがわかり、フェミニスト批評があるとするなら、どんな評価になるのかが気になりました。

 

私はこの映画で描かれる男性は極めて家父長的だと感じましたし、女性というものを軽視していると思います。

『熱海殺人事件』を読んで

前の職場の上司が、「『熱海殺人事件』が面白かった」と言っていて、本屋に何度も探しに行ったのだけれど見つからず、Amazonで注文することにした。

 

もともとは戯曲なそうなので、時折照明の合図や音楽が流れたり、伝兵衛が活弁士みたいに話すのが新鮮だった。(戯曲は『マクベス』くらいしか読んだことがない)

 

同上司に「面白かった」と言われて他に読んだのは『赤ずきんちゃん、気をつけて』(庄司薫)であったのだが、この二つとも文章に独特のリズムがあった。*1

 

この間読んだ『十角館の殺人』よりは、犯人の動機とかに焦点が置かれていて、

(それが「三流の事件を一流にということなのかもしれないが」)、それは好印象だった。

 

エンタメとして見せるのには、登場人物たちが言っていることにある程度共感できるような素地が必要なのかもしれない。

 

演劇も観てみたいなと思った。

 

*1:文体、というようりは独特のリズム、という感じがする。

方向性がわからない

おはようございます。はちみつです。

 

今日はいつもより早く起きて、洗濯も終えて、ゴミ出しをしました。

ついでに郵便受けをみたら、the japan times とこの間受けた市役所試験の結果があったので後者をあけてみると、全受験者の下から7番目というひどい順位で、

簡単だと思っていてもきちんと市役所試験の準備をせねば公務員は簡単に受からないということをしみじみと感じたものです。

 

今の仕事は気が付くと一日が終わっている、というような感じで、定時出社定時退勤、シフト制なのがやや休みがとりづらく感じるところ、といったところでしょうか。

お給料はそんなに高くないけど、(むしろ低いけど)、自分がやっていることに比べたらその給料でもいい方なのではないかと思っております。

 

学生時代を懐かしんでブログを読んでいたら、「こういう映画を観た」とか「今日はフランス語検定3級を受けて落ちた」とか、かなりぼーっとして過ごしていたことのわかる記事ばかりでした。

まあその頃の私はというと、どちらかと恋愛に時間を割いていたので、ほんとあの時間勿体なかったなーという気がします。

こんなに時間をかけたのだから、家庭に入るという手も一つなのではないか、と思い、婚約をするも自分から破棄をすることになるのでした。

なんとなく生きているという感じで、仕事も仕事と割り切ればよいのですが、私はどこかで自分がやりがいを感じられる仕事があるのではないかと期待してしまいます。

 

じゃあどんなことがやりたいの、と言われると、

UXデザインみたいな仕事をしたいなと思ったり、

地方創生に関わる仕事がしたいなと思ったり、

はたまた英語をもっと勉強して、英語が使える仕事をしたいなと思ったり……。

 

今やっている、文化に関するお仕事も悪くはないのですが、

これは長期的に見たら飽きてしまうのではないかとも思ってしまいます。

 

私に残されたものはなんだろう。

十角館の殺人(感想)

※本記事はネタバレを含みますので未読の方はご注意ください。

 

アルバイトで来てた大学生の子に、最近読んで面白かった本として綾辻さんの「十角館の殺人」をあげられたので、買って読んでみた。

 

序盤の感想は「名前がそれぞれニックネームだぞ!」「島と本土だったら本土の方が面白いなぁ」「展開はわりと早めでエンタメとしてはよくできてるなあ」くらい。

中盤は「みんな殺人事件が起きてるのによく寝ようとするな」で、終盤は「これで終わり?」という感じだった。

 

犯人については、早い段階で「まずそこを疑うべきでは?」という点があっさりスルーされていたところがあった。言ってしまうと一番最初に到着していた人間かつ島での生活が準備できそうな人間を疑ってもいいシーンが一か所あって、その点を登場人物たちは気にしなかったから、犯人像について、「誰もが安心しきってしまう、言うなれば影のうすい人間」であったことが気になった。

次に動機だけれど、登場人物の間で事故であった(と思われる)故人についての感想が共有されず、これまた影の薄い人物であったことが気になった。

強調されていた「左手首」の謎について、島に関係者が来る前の事件が無理心中であったとすれば、「左手首」にこだわる必要がなかったのではないかと思う。

 

また、「本土」と「島」の2パートがあるけれど、「本土」側の探偵役が事件解決にもっと積極的になってもいいと思った。

意図してかそれが省かれているので、全体としては「犯人」視点の物語に仕上がっており、それで犯人に共感できるエピソードがあるならまだしも、犯人の動機と行動力があまり結びついていないようにも思えて、エンタメとしては面白いけれど人物の造形としては失敗している印象を受けた。

 

読んで改めて、私は「探偵」側が勝利する話が好きなんだな、と感じた。アガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」「オリエント急行殺人事件」「アクロイド殺し」の中では一番「アクロイド殺し」が好きなのだが、それは名探偵がトリックを見破るが、読者はそれを看破できない、という名探偵への「信頼感」があるのが私の好みなんだなと思った。

 

というわけで、読後には消化不良感が残る。単に相性の悪い作品だったのかもしれない。