回復期①
今日は診察の日だったので病院に行ってお医者さん(以下、K先生とする)と話をしてきた。
診察はいつもK先生の「この二週間どうでしたか?」と訊かれることから始まる。
今は二週間ごとに受診しているからである。
いつもは母が隣にいるのだけれど、今日は母に発破をかけられた父が隣にいたので、この二週間どうすごしていたか、心配事は何か、を上手く話せず少し歯がゆい思いをした。
発破をかけられた父は興奮気味に私にこういうことを言われた、と話し、K先生の話をさえぎったので先生は少し気を悪くしたようだった。(にみえた)。
冒頭の、「二週間どうでしたか?」に対して私は「のんべんだらりとしていました」と答える。
先生は少し機嫌をよくする。
今の私には、何かをやらねばとするより、のんびりと落ち着いて過ごしている方がいいみたいだ。
「もともとの性格からみて、しばらくしたらいろいろとやりだすだろう」とのこと。
会社のことについて、質問があり、答えると、「良い会社だね」と言ってくれた。
それを先生に言われると私もほっと安心する。
精神科医の先生って、病気を治すということだけではなく、患者を安心させる、ということも仕事のうちなんじゃないだろうか。
家に帰宅し、父と一緒に診察するのがどれだけ負担だったかを母に話したけれど、母は「私にだって負担である」「私が行けないこともあるのだから」と取り合ってくれなかった。
この家では喧嘩や悪口や陰口が、残念だけど私を通して話されるので、私は正直に言って「もう少しうまくやれないかなぁ」と思う。
私に言わせれば、家族は私を見守るという観点が少ないのだ。精神科の治療も、回復の予後もどう過ごしていくものなのかも、精神科医と私にまかせきりなところがある。
でもそれもしょうがないのかなぁという気がする。
私の家では、私に向きあって話をしてくれる時間というものがない。
大げさに言えば対話の時間というものがない。
大学生になってから、私は私とちゃんと話をしてくれる人を探していた気がする。
そういう人がいるにはいたけれど、お別れをしてしまったから、もうそのような人はいない。
だから、私はもう少し内省する時間を持とうと思う。
そうすればこの苦しさを自分の中で何かに還元できるのではないか。
回復している途中だと思う。私がこうして文章にするのって、元の私に戻りつつあるしるしだ。
この間本屋さんに寄れたのは良いことだと思う。
本屋さんで自分の好きなことや、興味のあることがなんなのかを考えて買う本を選んだ。ほんとうは先住民族に関する本を選ぼうとしたのだけど、結局それよりはやさしい文化人類学の本と、行政に関する本を読むことにした。
少し前に、私は「芸事の家の子」なのだと書いた。
「あなたのお家は古い考えなのね」とご年配の方に言われることもある。
(回復期の)時間はまだあるから、文化人類学のことをもう少し勉強してみたい。